シネマ・クラシック「フィルム・ノワール特集」 (桑野仁)

2009.09.17

~映画史の闇から浮かび上がった"黒い罠"~

●過去を逃れて
上海から来た女.jpg 1940年代から1950年代にかけてアメリカで生み出された、ある暗い翳りと独特の雰囲気を帯びたスタイリッシュな犯罪映画として、今日、世界中の映画ファンの間でカルト的な人気と支持を得ている〈フィルム・ノワール〉。けれども、元来それは、西部劇やミュージカルといった明確な映画ジャンルとは違って、同時代のハリウッドにおいては、作り手も観客の側も格別意識することなく生産・受容していたものが、何重もの時間的・空間的・文化的偏差を経て事後的に"発見"され、その都度新たな解釈を施されながら、映画史の不可視の闇の中から未踏の暗黒大陸としてじわじわと大きく浮上してきたという、独自のユニークで錯綜した歴史を持っている。

●まわり道
 第二次世界大戦終結後のパリで、それまで戦時中は輸入が途絶えていたアメリカ映画がたて続けに公開された時、『マルタの鷹』(1941 ジョン・ヒューストン)、『深夜の告白』(1944 ビリー・ワイルダー)等の一群の犯罪映画に接したフランス人の批評家たちは、そこに従来のものとは様相を異にする新たな傾向・特質を見出し、それらの作品をフランス語で"黒い/暗い映画"を意味するフィルム・ノワールと口々に呼んだ。とはいえ、その時点でそう呼ばれたアメリカ映画の数は10本にも満たない。しかも、その知られざる前史として、実は大戦前夜の当のフランスにおいて、上記のアメリカ映画とは微妙に異なる意味合いでフィルム・ノワールと呼ばれる映画群が、既に生み出されていた。
 1955年にやはりフランスで、アメリカ製のフィルム・ノワールを主題にした初の包括的な研究書が刊行された後、1960年代の後半に入ってからようやくその名称と概念が英米圏に逆輸入され、闇に埋もれていたアメリカ映画の豊かな鉱脈としてのフィルム・ノワールを改めて発見・再認識し、その魅力と本質を解き明かして定義しようとする批評的試みが本格化し、それが現在にまでなお精力的に継続されている。その間にフィルム・ノワールにリストアップされる映画の数はどんどん増え、個々の論者によってばらつきはあるが、もはや優に百本を超えるまでに至っている。

●勝手にしやがれ
 また、そうした過去の発掘・囲い込み作業と並行して、フィルム・ノワールを新たな遺産、意匠として受け継ぎ、(その名称やゲームの規則も知らずに撮っていたかつての作り手たちとは対照的に)それをあくまで自覚的に映画作りに活用する後続の映画作家たちも次々に現れている。ヌーヴェル・ヴァーグの連中をはじめ、マーティン・スコセッシやヴィム・ヴェンダース、デヴィッド・リンチ、コーエン兄弟、等々、その例は枚挙にいとまがない。さらには、そうしたハリウッドの古典期以降の作品群を指す〈ネオ・ノワール〉や〈ポスト・ノワール〉、あるいはまた〈香港ノワール〉といった具合に、〈ノワール〉という名称自体、便利なキャッチフレーズと化して時代や国境を越えて幅広く適用され、その概念はすっかり拡散・希釈化している観もある(昨年、スペインのある映画祭では、なぜか伊藤大輔の無声時代劇などまでもが上映リストに入った〈日本のフィルム・ノワール〉特集が催されたばかりだ...)。それはまさに、現代社会における知のグローバリゼーションと密接に連動している。

●追跡
 ではここで、多くの批評家や研究者たちがそれぞれの観点からフィルム・ノワールの本質的特徴として挙げる、さまざまな指標をざっと列記してみよう。
 まずは、フィルム・ノワールの物語世界を支配する暗いペシミズムやシニシズムを、戦中・戦後を通じて従来の伝統的価値観が大きく揺らぎ変化したことや、絶望、幻滅的ムードの反映と見る時代的状況。現実社会での女性の役割の向上を背景に、自らの官能的魅力を武器にして男性主人公の運命を巧みに操る冷酷非情で強烈なヒロイン、〈ファム・ファタール〉の登場。数多くの映画の物語的源泉となった、ダシール・ハメットやレイモンド・チャンドラー等の作家たちによるハードボイルド小説の伝統。フィルム・ノワールに先立つ、ギャング映画やフランスの詩的レアリスム映画の影響。ドイツ表現主義の主題と手法を直接ハリウッド映画に持ちこんだ、フリッツ・ラング、ビリー・ワイルダーら、数多くのユダヤ系亡命映画作家たちの貢献。光と闇のコントラストを際立たせる明暗法の照明や、観客の心理的不安を煽る強烈な視覚的スタイル、主人公の一人称の語りやフラッシュバックによる回想形式の物語を多用した複雑な表現技法、等々。

●疑惑の影
 けれども、そうしたさまざまな指標は、なるほど多くの作品に共通して見られることは確かであるものの、その一方で、そこからはみでる例外的作品もこれまた数が多く、フィルム・ノワールをジャンルやスタイル、サイクルといった1つの厳密なカテゴリーで括ろうとする試みは、いずれも大きな障壁に直面して暗礁に乗り上げる結果に終わっている。
 結局のところ、映画史の闇の中から後追い的に見出されたフィルム・ノワールなる不可思議な映画の集合体は、それぞれの論者が各自思い思いに暗闇に投射したイメージに従って、微妙に相貌や輪郭を変えながら立ち現れるおぼろげな幻影なのかもしれず、それこそあの〈ムー大陸〉のように、熱に浮かれた世界中の映画マニアたちが虚構の上に虚構を積み重ねて作り上げた、胡散臭い妄想の産物という可能性も決して否定できない。フィルム・ノワールの"発見""成立"のプロセスは、いっそむしろ"発明"ないし"捏造"といってしまった方が実情に近い。

●合理的な疑いを越えて
飾窓の女.jpg かくして、フィルム・ノワールの出自と正体は、かようにも曖昧でいかがわしい。けれども、それならそれで一種の虚構=ゲームであることを承知の上で、むしろそのいい加減な出鱈目さを肯定して受け入れてみるのも、映画ファンならではの、映画に対する1つの積極的な姿勢、楽しみ方というものだろう。互いに相異なる複数のベクトルが衝突し交錯するフィルム・ノワールの"裏切りの街角"に佇んで、その絶えず変容し続ける運動の流れに全身を委ねてみること...。
 ここで1つ、『飾窓の女』(1944 フリッツ・ラング)の印象的な導入部の場面を見てみよう。ある晩、街角のショーウィンドウに飾られた美しい女性の肖像画に、温厚な大学教授の主人公がふと心を奪われて見とれているうち、もともと本人の複製=虚像としてあるその絵に重なり合うようにして、そのショーウィンドウのガラスに絵のモデルとなった女性の反射像がまず映し出され、思わず驚いて振り向いた彼の目の前に、美しいヒロインが夢か幻のようにして忽然と姿を現す...。それはもう、まさにフィルム・ノワールの顕現そのものだ。
 あるいはまた、『上海から来た女』(1947 オーソン・ウェルズ)の中の、映画史上に名高いクライマックスの場面。遊園地の鏡の間において対峙することになった主人公とヒロインらの姿が、合わせ鏡の中で幾重にも乱反射して無数の鏡像として立ち並び、どれが本人の実像でどれがその虚像か、まるで判別がつかなくなる。それらの場面においては、イメージ=虚像がたえずズレを孕みながら、幾重にも増えていき、そのめくるめくイメージの分岐=増殖運動に、観客は思わず目を瞠らされることになる。そして、最終的にそれらのイメージ=虚像が粉々に砕け散り、あるいは雲散霧消して、ただの空無と化しても、観客はその残像をすっかり脳裏に強烈に焼き付けて、きっと忘れられなくなるに違いない。


●見知らぬもの同士が結婚すると
ショックプルーフ.jpg 既に広く知られた上記の2作品以外にも、今回WOWOWのフィルム・ノワール特集でオンエアされる映画は、どれも粒選りの傑作や、これまで日本ではほとんど知られていなかった貴重な必見作ばかりだ。
 まず目に留まるのは、これが日本では初のお目見えの機会となる『ショックプルーフ』(1949 ダグラス・サーク)。近年、ようやく日本でも本格的な特集上映が催されたり、DVDがまとめて発売されたりして、再評価が進むようになったドイツ映画界出身の名匠サークが、ここではなんと、まだ監督デビューする以前の若きサミュエル・フラーの脚本を映画化していて、その何とも意外な取り合わせには、やはり驚くよりほかない。仮釈放中の美しい女囚と、その保護観察官を務める男性が、禁断の恋に落ちたうえ、やがて社会に背を向けて"愛の逃避行"に出るハメとなるという、いかにも新聞の三面記事かパルプ雑誌に似合いそうなフラー調のきわどい設定の物語も、いざ名匠サークの手にかかると、後の『天はすべて許し給う』(1955)などと同様、まさに彼ならではの優美なメロドラマ世界に仕上がってしまうから、何とも不思議だ。とりわけ映画の冒頭、まだ出所したばかりのヒロインが、薄汚れた過去の垢を洗い落とし、"黒い女"から"純白の女"へとたちどころに変身して保護観察官の前に初めて姿を現すまでを、台詞もないまま、短いカットを積み重ねてひと息で提示してしまう見事な演出ぶりには、思わず唸らされてしまう。ただし、ここでの彼女の見かけだけの変化は、1つの虚像から別の虚像へと移り変わっただけのものにすぎず、その後彼女は、それまで知らなかった真実の愛を得て、内面的にも大きく生まれ変わっていくのである。

●影を追う男
秘密調査員.jpg "愛の逃避行"を描いたフィルム・ノワールといえば、『ショックプルーフ』と相前後して作られた有名作に、『夜の人々』(1949 ニコラス・レイ)と『拳銃魔』(1949 ジョゼフ・H・ルイス)があるが、『秘密調査員』(1949)は、B級活劇の傑作として名高い(ただし実際はA級映画に近い)後者を独立プロで手がける直前に、ルイス監督がハリウッドの二流メジャー会社コロンビアから最後に放った、これまた本邦初紹介となる手に汗握る傑作活劇。
 戦後のハリウッドでは、非常線の網を次第に狭めながら、犯罪者たちを追いつめ、逮捕するまでの捜査のプロセスを、あくまで警察・司法組織の側の視点からセミ・ドキュメンタリー・タッチで描き、善悪の境界線が曖昧で両義的な従来のフィルム・ノワールとは微妙に異なる、勧善懲悪調の一連の犯罪捜査映画が相次いで登場し、新たな流派を生むことになるが、この作品もその流れを受け継ぐ1本。先に作られた『Tメン』(1947 アンソニー・マン)と同様、本作でも、暗黒街の大物の逮捕に執念を燃やす財務省の秘密調査員たちの知られざる苦悩と活躍ぶりが、ルイス監督ならではのダイナミックな演出とカメラワークを随所に駆使しながら描き出されるのが、何よりの見ものだ。

●狩人の夜
夕暮れのとき.jpg これまたやはり本邦初紹介となる『夕暮れのとき』(1957)は、恐怖の対象を画面に直接的に描き出すのではなく、どこまでも暗示にとどめた独特の雰囲気描写でホラー映画に新たな地平を切り拓いた『キャット・ピープル』(1942)のジャック・ターナー監督による、巻き込まれ型の犯罪サスペンス。現実と幻想、人間と動物、生者と死者、といった具合に、たえず2つの世界のあわい、はざまを描いてきた同監督らしく、本作も、その題名通り、あたりが次第に暗くなって夕方から夜へと移り変わり、街灯やネオンが次々とともり出したところで映画のタイトルバックが出る、というオープニングからして印象的だ。彼が先に生み出していた傑作『過去を逃れて』(1947)、あるいはまた、デヴィッド・グーディス原作の別の小説をもとにフランソワ・トリュフォー監督がその後作り上げる『ピアニストを撃て』(1960)と同様、現在と過去の時制、そしてまた物語の舞台は夜の都会と雪に閉ざされた白昼の片田舎の間を往還しながら、スリリングな犯罪劇が展開していく。

●こんなにも暗い夜
大いなる夜.jpg ところで、1933年のナチス・ドイツ政権誕生以後、ヨーロッパのユダヤ系映画人たちが数多くアメリカに亡命・流入し、フィルム・ノワールの興隆に大きく貢献したことは先に述べたが、その流れとは対照的に、戦後間もなく、国内への共産主義の浸透を恐れる下院非米活動委員会の主導のもと、熾烈な〈赤狩り〉によって、左派映画人たちが次々とアカの烙印を押されて業界のブラックリストにその名が載り、仕事を干されてハリウッドから放逐されるという暗澹たる不幸な一時代がアメリカの映画界に到来する。
 『大いなる夜』(1951)は、この時期、ジュールス・ダッシンらと同様、ヨーロッパへの亡命を余儀なくされた才能豊かな映画作家の1人、ジョゼフ・ロージーが、故国を去る直前にハリウッドに最後の置き土産として残した知られざる小品。父親が公衆の面前で辱めを受けるのを目の当たりにし、深い衝撃を受けた十代の青年が、その仇を討つべく夜の街を彷徨するさまを悪夢のようなタッチで綴ったもので、ガラスのように脆くて傷つきやすい心を持った、ジェームズ・ディーンの前身というべき青年主人公の役を体当たりで熱演しているのは、ジョン・ドリュー・バリモア。本作でのクレジット名義のジョン・バリモア・ジュニアが示す通り、映画・演劇界の伝説的名優ジョン・バリモアの息子だが、今日ではあの女優ドリュー・バリモアの父親と言った方が手っ取り早いだろう。その後イギリスに亡命したロージー監督を、ある時このジョン・ドリュー・バリモアがわざわざ訪ねてきたことがあったが、実はその時の彼の行動は、FBIの密命を受けてロージーの動向を探るためであったことを、後年自ら同監督に向かって告白・懺悔したという。
 さらにもう1つ、本作で要注目のポイントは、当時まだ自らは監督デビューする前で、ロージーの前作で助監督を務めていたあのロバート・アルドリッチが、なんと端役で劇中に出演していること。父の仇を探し求めながら、バリモアがボクシングの試合を観戦する場面で、彼とは隣席を間に挟んでもう1つ隣の席に陣取っている恰幅のいい男性が、ほかならぬアルドリッチその人。どうか、お見逃しないように。

●明日に別れの接吻を
キッスで殺せ.jpg さてこうなると、いよいよここでアルドリッチが監督したフィルム・ノワールのきわめつきの傑作の1つ、『キッスで殺せ』(1955)にトリとして登場願うほかないだろう。この作品は、当時その煽情的な性と暴力描写で一世を風靡していたミッキー・スピレーンのハードボイルド小説をいちおう原作に仰ぎ、その人気キャラクター、私立探偵マイク・ハマーを主人公に据えてはいるものの、実際には"題名だけ頂いて本は投げ捨て"(とは監督自身の弁)、映画独自のセンセーショナルな犯罪劇が、冒頭から息つく暇もなく、たたみかけるようなリズムで急展開していく。深夜のハイウェイを疾走する裸足の美女。耳を聾するような女の叫び声。あるいはまた、画面から迸り出る白熱の閃光。謎がまたさらなる謎を呼ぶミステリアスなドラマに呼応して、アルドリッチ監督は、主人公のハマーにも映画を見る観客にも、決して容易に把握可能な全体像を提示することなく、何やら意味ありげな鮮烈な音と映像、台詞の断片だけを、ただもうぶっきらぼうに投げ出していく。こうして我々は、何だか訳が分からないまま、あれよあれよという間にラストへと辿り着き、"パンドラの匣"の開封による、この世の終末にも似た黙示録的光景を、ただ息を詰めて見守るほかないのである。
 監督自身も認めているように、この映画の中に、目的があらゆる手段を正当化してしまう〈赤狩り〉の時代への強烈なアンチテーゼと、冷戦・原爆の時代の不安と恐怖、パラノイアが織り込まれていることは確かだが、と同時に、どこか内実性を欠くさまざまな虚像=イメージを積み重ねた上に成り立った、フィルム・ノワールをまさに体現するキー・フィルムの1つであるこの作品は、決してそれだけには留まらない、それ以上の深い何かを抱えているようにも見える。そして、つい人を釣り込まずにはおかない、その底なしの闇="黒い罠"に誘われて、今日我々は、また何度となくフィルム・ノワールを見ることになるのである。


<オンエア一覧>
上海から来た女」 10月18日(日)午前9:00 [191ch][HV][字]
夕暮れのとき」 10月19日(月)午前8:00 [191ch][字]
秘密調査員」 10月20日(火)午前8:00 [191ch][HV][字]
ショックプルーフ」 10月21日(水)午前8:00 [191ch][HV][字]
キッスで殺せ[完全版]」 10月22日(木)午前8:00 [191ch][字]
飾窓の女」 10月23日(金)午前8:00 [191ch][字]
大いなる夜」 10月23日(金)午前9:45 [191ch][字]



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