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真夏のホラー特集「遊星からの物体X」(添野知生)
<『遊星からの物体X』は、なぜ奇妙な映画なのか>
何度見ても思うことだが、『遊星からの物体X』は奇妙な映画である。そもそもこれはどんな映画なのか? SF映画にしては暗い恐怖の影が全体を覆っているし、ホラー映画にしては理詰めに過ぎる。大作映画のようでもあり、低予算映画のようでもある。アンサンブル演技によるノースター映画で、女性の出演者はゼロで、商業映画としてはあまりにも素っ気なさ過ぎる。ベテランのような達意の演出と、子供のように野心的な見せ場が同居している。全体にバランスを欠いて、見る者を安閑とさせるところがない。そして、公開時は『E.T.』に完敗して大ゴケしたはずなのに、いつの間にか名作の評価が確立されている。
劇中の焼け焦げた死体のように2つに引き裂かれた(あるいは2つが溶け合った)、この奇妙なありさまは、すべからく、監督ジョン・カーペンターが、ひとつの身に2種類の愛情を抱え込んでいたことから来ている。ハワード・ホークスへの愛と、SFホラーへの愛、力強く直截なアクションへのこだわりと、世界が終わるという恐怖へのこだわりである。
このことを説明するには、まず、今から70年ほど前に遡らなければならない。いささか長くなるがお付き合い願いたい。
日本では国民総動員法が施行され、ヨーロッパではヒットラーがオーストリアを併合していた1938年の夏、アメリカのSF雑誌アスタウンディングに「影が行く」という中篇小説が載った。作者のドン・A・スチュワートとは、同誌編集長ジョン・W・キャンベル・ジュニアの別名。「影が行く」は読者を震えあがらせ、やがて名編集者としてアメリカSFの黄金時代を築くことになるキャンベルの、作家としての代表作となった(邦訳は創元SF文庫『ホラーSF傑作選 影が行く』で読める)。
「影が行く」の舞台は、南極のアメリカ観測隊基地。さまざまな分野の科学者から成る37名の越冬隊は、分厚い氷の下に、2千万年前に地球に墜落したと思われる宇宙船を発見。凍りついた地球外生命体の死体を掘り返して、基地に持ち帰ってしまう。
この奇怪な生物は、体長約120センチメートル、三つの赤い眼、絡み合った青い髪、かぎ爪のある手を持ち、じつはテレパシーを使う。氷が溶けるや否や生き返って、エスキモー犬や隊員たちを襲って同化吸収し、そっくりの姿に変身する。
物語の主人公は、気象学者でたくましい大男の副隊長マクレディ。疑心暗鬼に陥った隊員たちを率いて、この恐るべき変身怪物の地球侵略を阻止しようとする。
第二次世界大戦をはさんで10年後、アメリカの映画監督ハワード・ホークスは、『僕は戦争花嫁』という映画を撮影するために、西ドイツはハイデルベルグの米軍基地に滞在していた。なかなか下りない撮影許可を待つ間、退屈しのぎに軍のPXで買った本のなかに、この1948年に出版されたばかりのジョン・W・キャンベル・ジュニアの短篇集『影が行く』があった。
表題作を読んだホークスは、暇に飽かして地球外の怪物について想像をめぐらすうちに、それを映画化したくなってしまう。だがこの時代にはまだ、ホークスのようなAクラスの監督や、ハリウッドのメジャー製作会社がSF映画を手がけることはほとんどなく、それどころかSF映画というジャンル自体もホラーや冒険活劇から未分化で、製作のフォーマットも確立されていなかった。興行上の価値も未知数だった。
だからこそ、ホークスが自身の製作会社ウィンチェスター・ピクチャーズの第一回作品として「影が行く」を映画化し、その『遊星よりの物体X』がメジャーのRKO配給で公開するに至ったのは驚くべき出来事だった。1951年4月のことである。
映画は国内配収だけで195万ドルを稼ぎ、この年のトップ50に入るヒット作となった。半年後に公開されたメジャー製作のSF映画『地球の静止する日』に勝る成績だったのだから、いち早く未踏の分野に挑戦したハワード・ホークスの慧眼は明らかだろう。
ちなみに『遊星よりの物体X』に監督としてクレジットされているのはハワード・ホークスではなく、ホークス組のフィルム・エディターだったクリスチャン・ナイビーだが、実質的にはホークスが製作だけでなく監督も務めたと見なしている人が多い。私もそう思うし、ジョン・カーペンターもそう考えているようだ。誰が現場で演技指導したかについては証言が分かれているが、きびきびしてスピード感のある力強い演出は明らかにホークスのスタイルだし、監督経験のない者に、20人の出演者にそれぞれの演技を同時進行でやらせるような難しいシーンが仕切れただろうか。
また、冒頭から全開で使われている、気の利いたセリフが矢継ぎ早にくりだされるオーヴァーラッピング・ダイアローグ(複数の人物に同時にしゃべらせる)の手法も、ホークスが新聞記者映画『ヒズ・ガール・フライデー』で確立したものである。
収益性を優先した完全ノースターの低予算映画で、しかもSF映画という"新奇な"企画を、自分の監督作リストに入れたくなかった、という推測も成り立つし、シナリオ作りを手伝った名脚本家ベン・ヘクトの名前がクレジットにないのも、同じ理由だったのかもしれない。
原作と映画の重要な違いは、舞台を南極から北極に移したこと。これによって、アラスカのアンカレッジ空軍基地から救援機が飛び立つ設定が可能になり、空軍のパイロットを主人公にすることができた。南極のままだとどうしても、原作どおりに孤立した科学者たちを主役にせざるを得ないのだが、ハワード・ホークスはそれよりも、飛行機乗りの一団をストーリーの中心に据えたかったのだ。
ハワード・ホークスにとって飛行機乗りの集団は、『無限の青空』『コンドル』『空軍』などの監督作でくりかえし描いてきた、得意の題材。SFという未知のジャンルに挑むなら、せめて人物設定だけはおなじみのものにしたかったのだろうし、逆にいえば、それだけ科学者グループは扱いづらかったのだ(学者のグループというものについてホークスがどう考えているかは、『教授と美女』という映画を見るとよくわかる)。
原作とのもうひとつの違いは、物体Xという怪物の設定。不定形のシェイプシフターという原作の設定は、50年代初頭の映画の特殊技術では手に余るもので、これは人間が演じるヒューマノイド型の地球外生命体に変更するしかなかった。そのかわりに体格は人間を圧倒するものになり、異常な腕力を誇り、頭部はフランケンシュタインの怪物のようで、光る目と、かぎ爪のある手だけが原作から踏襲された。
変身能力のかわりに、地球生物の血液をエネルギーにして無限に再生・自己増殖する、植物のような生命体という設定になり、極地ではなく人口密集地に侵入されたら、人類文明は消滅の危機を迎えていた――という原作の恐怖は保持された。ハワード・ホークスはこれ以前に吸血鬼映画の企画も進めており(結局実現しなかった)、吸血植物というアイデアは、そこから出てきたのかもしれない。
『遊星よりの物体X』は、たった3日間の物語であり、犠牲者もじつは人間2人と犬数匹にとどまる。人類の存亡を賭けた重大事件であるにも関わらず、空軍チームを中心にした北極基地のアメリカ人たちは、一貫して陽気で前向きな姿勢を崩さず、勇気とチームワークと、あり合わせの物から何でも作り出すハンドメイド精神でこれを乗り切ってしまう。
侵略SFではあるが、切迫感は薄く、同じハワード・ホークスの狩猟映画『ハタリ!』を思わせる。というか、製作順からいけば『ハタリ!』が『遊星よりの物体X』に似ているわけで、和気藹々としたチームの雰囲気や、恋愛下手なボスを部下たちが後押しするあたりも、ホークス作品では定番の描写といえる。要するに、ハワード・ホークスにとっては、恐るべき宇宙怪物との対決も、猛獣狩りとたいして変わりがなかったのだ。
とはいえ、ここにSF的な驚きがないわけではない。氷の下に謎の落下物体を発見した十数人の隊員たちが、そのシルエットに沿って広がると、円盤のかたちになるというシーンは、SF映画史に残る名場面だろう。
空飛ぶ円盤というのは、1947年のケネス・アーノルド事件とそれに続く1950年のドナルド・キーホーの著作によって、当時のアメリカでは流行の話題になっており、この映画がそんな円盤ブームをあてこんで作られたこともよく分かる。
50年代といえば、太平洋とネヴァダ州の核実験によって顕在化した科学の時代への不安があり、冷戦の広がりによる共産主義へのパラノイドな恐怖もあり、ハワード・ホークスは空飛ぶ円盤だけでなく、それらも巧みに脚本のなかに折り込み、さりげなく観客の不安を煽っている。主人公と対立する北極基地の科学者は、ビキニ環礁にいたというから原子物理学者なのだろうし、北極に謎の物体が墜落したというと、すぐにソ連機の可能性が言及される。意外なヒットの影には、こうしたホークスの時代を読む目があったのだ。
ところで、日本での公開にあたって、"The Thing" を「物体X」と訳した人は天才ではないかと思うことがある。"The Thing from Another World"(よその世界からやって来た、正体不明のもの)が『遊星よりの物体X』になったのは、要するに直訳なのだが、興行に欠かせない山気もあるし、「物体」だけでなく「X」を付けることで「正体不明の恐ろしい何か」という含意をみごとに表現している。
これも50年代SF映画の傑作 "Them!"(やつら!)が、邦題を『放射能X』としたのはこの影響だろうし、30年後の『遊星からの物体X』でも、「~よりの」を「~からの」に手直ししただけで旧作を踏襲し、この邦題の古びないインパクトを証明した。
円盤ブームを背景に1951年に公開された『遊星よりの物体X』と『地球の静止する日』が成功したことで、50年代のハリウッドにSF映画ブームが到来し、低予算でも、モノクロでも、無名俳優しか出ていなくても、おもしろいアイデアがあればヒットに結びつくSF映画というジャンルが、急速に確立されていくことになった。
さて、ここでようやくジョン・カーペンターが登場する(お待たせしました)。『遊星よりの物体X』が公開されたとき3歳だったカーペンターは、封切りは逃したものの、6歳でこれに出会って衝撃を受ける。長じてハワード・ホークスの力強く直截なアクション演出のとりこになり、同時に、映画や文学を通じて、世界の終わりを黒々と描き出すSFホラーへの傾斜を深めていった。
カーペンターは、例えば1歳違いのスティーヴン・スピルバーグと比べても、順調なコースをたどって映画界入りを果たしたといえる。ケンタッキー育ちの8mm少年は、名門である南カリフォルニア大学の映画芸術校に入り、脚本・編集・音楽を担当した短篇でアカデミー賞を受賞し、卒業制作を格上げしたSF映画『ダーク・スター』で、そのまま商業監督デビューを果たしている。
極端な低予算で作ったホラー映画『ハロウィン』が、製作費の150倍の米興収をあげる極端な大ヒット作に化けて、この新進監督の興行上の信頼を高らしめ、『ザ・フォッグ』『ニューヨーク1997』の独立系作品を経て、ついにメジャー・スタジオから声がかかったのが、『遊星よりの物体X』のリメイク企画だった。製作・配給はユニヴァーサル。旧作が公開されてから30年後のことである。
それにしても「自分の人生を変えた映画をリメイクしないか? それも、これまでとは桁違いの予算で」と言われたときの人の気持とは、どのようなものだろうか。瞬時に引き受けたというジョン・カーペンターにしても、心中は興奮と恐れが渦巻いていたに違いない。
このリメイク企画は、ユニヴァーサル・テレヴィジョンのプロデューサーだったスチュアート・コーエンが進めていたもので、最初は『悪魔のいけにえ』のトビー・フーパーを監督として準備に入ったが頓挫(フーパーはのちに『スペースバンパイア』を撮る)。仕切り直して持ち込まれたのがカーペンターのところだった。
オリジナルの『遊星よりの物体X』への愛情とこだわりが強すぎたカーペンターは、旧作の設定や脚本にはいっさい手を付けず、その代わりに原作「影が行く」の忠実な映画化に徹するという作戦を打ち出す。脚本のビル・ランカスターとともに、じっくりと時間をかけて準備を進め、満足のいく脚本ができあがった(ランカスターは俳優バート・ランカスターの息子で、97年に惜しくも早世した)。
カーペンターはまず舞台を南極に戻し、登場人物をアメリカ観測隊の前哨基地にいる12人の越冬隊員に絞った。全員が科学者か基地スタッフで、女性はゼロ。軍人はまったく登場しない。
怪物も不定形のシェイプシフターに戻された。70年代以降の特殊効果・特殊メイクの技術の進歩を受け、ある程度の勝算があって決断したのだろうが、これは大きな賭けだった。怪物をどう作り、どう見せるかという問題は、完成直前までこの映画につきまとうことになる。
そして、閉ざされた場所における、誰が怪物かわからない疑心暗鬼のサスペンスが最大のテーマとして復活し、原作の科学談義や論理的な展開も踏襲され、血液検査で正体を調べるシーンは後半の山場となった。
と、ここまでは作戦どおりで、『遊星からの物体X』は『遊星よりの物体X』とはあまり似ていない映画になるはずだった。だが、ジョン・カーペンターにとって、その身に染みこんだハワード・ホークスの流儀への誘惑は抗いがたいものだったようで、結果として、主人公の設定と、先行するノルウェイ隊の描写に、旧作からの影響が色濃く反映されることになった。
カート・ラッセル演じる主人公のR・J・マクレディは、原作でも"ブロンズの男"とあだ名される大男だが、そこでの仕事は気象学者である。ジョン・カーペンターはこれを原作のもう一人の登場人物ヴァン・ウォールと合体させ、ヘリコプターの主任パイロットに設定し直した。いきなり飛行機乗りの登場である。しかもカート・ラッセルに伝えられたプロフィールでは、ヴェトナム帰りの元軍人の設定だったという。
マクレディはものに動じないタフガイであり、言葉少なで、判断力に優れ、非常時には頼れるリーダーになる。チェスのソフトが入ったパソコンを壊す冒頭のシーンは、女嫌いの露骨な表明になっている(ソフトの音声は本作唯一の女性出演者。当時カーペンターと結婚していた女優のエイドリアン・バーボーが演じた)。
マクレディだけがハワード・ホークスの世界からやってきたタフガイの主人公であり、カウボーイ・ハットをかぶり、ショットガンを片手に大股でゆっくりと歩く様子は、まったく『ハタリ!』や『リオ・ブラボー』のジョン・ウェインを思わせるもので、80年代なりの立派な模写になっていた。
もうひとつ原作と違うのは、氷の下に宇宙船を発見し、怪物を掘り出したのが、アメリカ隊ではなく、先行するノルウェイ隊だったという設定になっていること。ノルウェイ隊の遺したビデオテープに映っているモノクロ映像は、まるで『遊星よりの物体X』における円盤発見の名シーンをそのまま借用したかのようなタッチと構図で(実際には新撮された)、そっくりの巨大な"氷の棺"も登場するし、単なるオマージュとか引用ではなく、積極的にこれを旧作の続篇に位置づけるような仕掛けになっている。つまり、ホークスの映画で物体Xを滅ぼすことができず、あの基地が全滅していたら、その後に起こっていたかもしれない第2の事件として、新作を見ることができるのだ。
そしてもちろん、この2つの変更とは別の問題として、ジョン・カーペンターの監督作すべてがそうであるように、本作の演出――とりわけアクション場面の演出には、ハワード・ホークスの影響があからさまに現れている。それは例えば、映画の冒頭の、ノルウェイ隊のヘリコプターが着陸してから、狙撃者が隊長に射殺されるまでの、複雑だけどあっけない、連動するメカニズムを思わせる一連のシークエンスを見ても明らかだろう。
アクション場面を引き延ばさず、できるだけ少ないカット数で、しかし誰にでも位置関係がわかるように撮る、という老練で反時代的なスタイルは、最新の特殊効果技術を駆使して怪物の姿をたっぷり見せるという、SFホラー映画としての本作の特長とは相反するもので、だからこそ全体にぎくしゃくした感じがつきまとうのだ。
不定形の怪物をどう映像化するかという問題は、当時22歳だった新進気鋭の特殊メイク・アーティスト、ロブ・ボッティンを雇うことで、大きく前進した。14歳でリック・ベイカーに弟子入りしたボッティンは、カーペンターの『ザ・フォッグ』に参加したあと、『ハウリング』で映画史に残る変身シーンを手がけ、観客ばかりか同業者の度肝を抜いたばかりだった。『遊星からの物体X』の現場では、仕上がりに自信が持てないボッティンが、怪物に直接照明をあてるのではなく、バックライトで撮るようにくりかえし要求し、撮影監督のディーン・カンディと鋭く対立したそうだが、ご存じのように、結果はボッティンの才能に賭けたカーペンターとカンディの大勝利だった。
さまざまな形状に変身する怪物は、大別して7種類が登場する。ロブ・ボッティンはユニヴァーサル・スタジオにこもりきりで身を粉にして働いたが、本篇撮影が終わり、劇場公開の期日が迫るなかで、スケジュール的にすべてを担当するのは難しいことが判明。犬舎のシーンに登場するいわゆる"ドッグ・シング"は、ボッティンの依頼を受けて、スタン・ウィンストンが制作と操演を手がけた。
ドッグ・シングの出現シーンは映画の最初の見せ場であり、すばらしい工夫と仕上がりで力の入った場面を作り上げたスタン・ウィンストンの貢献も特筆されるべきだろう。
ロブ・ボッティンはその後、『ロボコップ』や『トータル・リコール』などで活躍したが、デジタル視覚効果の時代に入ってからは目立たない仕事が多く、クリーチャー・デザインを手がけた注目作は、1998年の『ザ・グリード』が最後になった。近年は一線を退いているようだ。
ジョン・カーペンターの監督作では、カーペンター自身が音楽も担当するのが常だが、初のメジャー作品となった『遊星からの物体X』では、初めて外部の作曲家に音楽を依頼している。招かれたのはイタリアの巨匠エンニオ・モリコーネで、カーペンターもこの共同作業を歓迎したようだ。
分厚いオーケストラ・サウンドによる不安感をあおるスコアは、モリコーネらしい堂々たるものだが、映画が始まってすぐの雪原シーンで使われた曲だけは、シンプルなベース音(シンセ・ベース?)のくりかえしで始まる異色の内容。あからさまにカーペンター自身の音楽スタイルに近く、監督のリクエストに合わせて書かれたのだろうと推測できる。映画の中では明らかにメインテーマとして使われているにもかかわらず、サントラ盤では「Humanity (Part II)」の題で後半にさりげなく収録されているあたりに、モリコーネの主張を感じずにはいられない。
ちなみに、カーペンターは当時の自分のバンドでもベース担当で、映画音楽でもベース・パターンのくりかえしを好んで使っていた。
そうした不安な音楽が全篇で使われているせいか、原作の理詰めの展開をかなり忠実に映画化しているにもかかわらず、『遊星からの物体X』にはどこまで行っても暗い恐怖の影から逃れられない印象があり、おそらくはそれが原因で、1982年当時の観客には受け容れられなかった。2週間早く封切られた『E.T.』が未曾有の大ヒット中で、地獄のふたを開けてしまったような阿鼻叫喚のSFホラー映画には、どこにも居場所がなかったのだ。
『遊星からの物体X』が正当に評価されるようになったのは、ビデオソフトやケーブルテレビが普及して、くりかえし見られるようになってからであり、暗い終末の影にぞっとするような魅力があることに、とりわけ若い観客が気づいてからのことだった。
ジョン・カーペンター自身も、のちに『遊星からの物体X』(1982)、『パラダイム』(1987)、『マウス・オブ・マッドネス』(1994)の3作を、自分の「黙示録三部作(The Apocalypse Trilogy)」と呼ぶようになり、これが世界の終末をテーマにした、SFホラーや幻想文学の延長上に作られたと位置づけている。われわれの暮すこの世界の外側には、一皮めくると正体不明のものがうごめいている別の世界があり、それがこちら側に現れるとき、人類文明は滅亡の危機を迎える――というヴィジョンは、小説、映画、コミックなど多分野の作家によって共有された、20世紀以降のSFホラーにおけるスタンダードなのだ。
ジョン・カーペンターは、『遊星よりの物体X』という1本の映画を決定的な入口として、ハワード・ホークス的なタフガイの世界と、SFホラーの暗く黙示録的な世界の両方に出会い、まったく異なる2つの世界を、生涯を通じて探求することになった。
のちに、まさにその映画をリメイクするという希有の機会を与えられたとき、この2つの世界へのこだわりと愛情が抑えようもなく噴出し、そのために『遊星からの物体X』は、他に類例を見ない奇妙な作品に仕上がったのである。
「遊星からの物体X」
[191ch][HV][5.1][字] 8月5日(金)よる11:20
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