<ドキュメンタリーの僕なりの向き合い方>

 多くの力を結集して作り上げる映画も、あらゆる表現物と同じように、それを束ねる作り手の立ち位置が作品に反映される。
 たとえエンターテインメントであろうとも、作り手の思想、信条、価値観、宗教観、世界観、そしてどんな社会で育ってきたかということまでもが、さまざまな形で映像から浮かび上がってくる。これがドキュメンタリーともなると、もっと明快だ。

 ドキュメンタリーは、映像によって切り取られた事実の断片を再構築して生み出される。そこには当然ながら、作り手の立ち位置が大きく作用する。一つの事件を取り上げるとして、それをどの視点から描くかによって内容は大きく変わるという事実は、例えば戦争を行っている当事国同士が、相手の非業を訴える映像を競い合うときに明らかになる。一方で、映像情報がはんらんする時代ゆえに、逆に事象を単純化して片付ける風潮が生まれている中、「事実を客観的に検証する」というフレーズにどことなくうさんくささを感じてしまうのはそこに起因する。モラルが崩壊し、経済至上主義に覆われたこの世界に、神のごとき客観性、あるいは利害を超えた公平性を持ち得ることが果たして可能なのか。

 ドキュメンタリーは、作り手が考える真実を紡ぐために構築されたものであり、事実の断片映像を駆使した一種のフィクションとも言える。近年、一般劇場で公開されるケースが増え、取り上げる題材やアプローチがさらに多様化している印象を受けるドキュメンタリーだが、映し出される映像のインパクトだけをうのみにせず、作り手の立ち位置を考えながら作品をとらえることが肝要になる。それは自分の立ち位置を見つめ直す作業にもなるわけで、だからこそドキュメンタリーは刺激的で面白いと筆者は考えている。そうした観点で、WOWOWの特集<食とグローバリズム>の作品群を見ていくと、そこに作り手のさまざまな思惑が浮かび上がってくる。


ダーウィンの悪夢.jpg まず第78回アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門にノミネートされた「ダーウィンの悪夢」では、監督フーベルト・ザウパーが東アフリカ、タンザニアのビクトリア湖にカメラを持ち込み、グローバリズムと格差の問題に切り込んでいる。ビクトリア湖はかつて"ダーウィンの箱庭"と呼ばれたほど、多彩な生物の生息地として知られていたが、半世紀ほど前に肉食魚ナイルパーチが放たれたことで生態系が一変してしまう。だがこの繁殖力の強い肉食魚が淡白な白身であることから、ヨーロッパ、日本をはじめとする各国への輸出品として着目され、加工工場が次々と作られた。ザウパーはそうした状況のもとに、生命の危機をかけてどう猛な魚をとらえる現地の漁師たちが依然として貧困にあえいでいることと、輸送に使う飛行機が往路の便でアフリカ内戦のための武器輸送に使われていることを明らかにしようとする。グローバリズムの名のもとに、アフリカを食い物にする先進国の姿が浮かび上がってくる図式だ。
 オーストリア出身でイギリス、イタリア、アメリカで暮らし、現在はフランスに住むザウパーはこの図式を補強するため、現地に激増する売春、ドラッグ、HIVまん延といったいささかこじつけに近い素材も織り込んでいる。さらには輸送機に武器が積載されていたという証拠の映像が収められなかったことで、この作品は事実を描いていないとかなりのバッシングを受けた。ザウパーはそうした批判に対して「自分が感じたことを見せたいだけ」とコメントしているが、なるほど、魚を入り口にして紡がれる映像からグローバリズムという搾取の構図、格差の問題は伝わってくる。それに、わたしたちもその世界の一員であるという認識を持つことができ、この問題を考える機会を作ってくれたのは確かである。


いのちの食べかた.jpg 同じオーストリア出身のニコラウス・ゲイハルターの2006年作品「いのちの食べかた」は、わたしたちが口にする食物がどのような過程で商品化されているかを克明につづっている。大量生産のために果物、野菜から肉や魚が機械的に処理され、商品となっていく。ゲイハルターはナレーションや音楽を排し、丹念にその作業の様子を切り取る。食するために動物や魚を殺めたことのない人間にとっては、機械的に養育し殺めるまでの過程は衝撃的で、あまりに機械的であることに衝撃を受ける。人間は神のように生命を都合良く作り、食物にしている事実を今さらながらに目の当たりにさせられる。
 ゲイハルターは並行して従事する人々の食卓も描き出すことで、人間も食べ物になる家畜と同じように管理され、規格化されていることも訴えようとしているのだろうが、それほど強いメッセージを打ち出しているわけでもない。2年をかけて撮り上げた映像をいかに効果的にまとめ上げるか、そのことに重点が置かれている印象だ。食育を考えるのにふさわしい作品と評価されているが、整然と行われる製品化の美しい映像に「だからどうした」といった気持ちが、筆者は芽生えたりもした。深く考えさせられたという意見も多いし、観る人を選ぶ作品であることは確かである。


おいしいコーヒーの真実.jpg ロンドン生まれのマーク、ニック・フランシスが挑んだ「おいしいコーヒーの真実」が紡ぐのは、コーヒーにおける搾取。コーヒー豆は市場を牛耳るいくつかの大企業の操作によって価格が下がり続け、原産国の農民は貧困にあえぐ事実が描かれる。エチオピアの農協連合会の代表が事態を改善するために奮闘する姿とともに、企業の意向しかおもんぱからない世界貿易機関(WTO)の実態が明らかにされ、フェア・トレードの必要性が訴えられていく。大企業が取材に応じなかったことで、価格操作の事情は明らかにされないが、作り手のストレートな怒りは伝わってくる。この監督たちはイギリスの核武装解除を求める人々に焦点を当てた作品などを製作し、世界に対する問題意識はきっちりと持っているようだが、この経済至上の時代にフェア・トレードという形が成立すると考えているあたり、少しイノセントな気もする。フェア・トレードを行う意識を持った国や企業が、今、存在するとは思えない。それはフェア・トレードで原産国を危機から救うため、値段が高くなってもコーヒーを飲むかどうか、わたしたちの決意の問題でもあるからだ。


シャークウォーター.jpg 「シャークウォーター 神秘なる海の世界」は、サメをこよなく愛する野生動物カメラマン、ロブ・スチュワートがサメが一般的に持たれている悪役イメージをぬぐり去るべく製作。美しい水中映像でその生態が焼き付けられていく過程で、途中からサメの乱獲という問題に突き当たる。中華料理の高級食材フカヒレ調達のために、サメが絶滅の危機に瀕していると知ったスチュワートはそのビジネスを調べ上げ、漁をする漁師たちに直接行動を仕掛けていく。サメというのは4億年もの間、海の生物の中心的存在だったという。そのサメの危機に立ち上がるスチュワートのイノセントな義憤はわかるものの、その行動というのが漁の妨害というのは首を傾げたくなる。その発想は、日本の捕鯨船を攻撃するシーシェパードと同じだ。映画の中で、グリンピースの代表が「人間が地球を汚している加害者である意識を持たなければならない」と語っているが、まさしくスチュワートが傾聴すべき発言である。正義のヒーローを気取って、搾取されているコスタリカの漁民を妨害しても問題の何の解決にもなりはしない。中華料理がけしからんという前に、乱獲を引き起こしている元凶である世界経済の格差の仕組みにメスを入れるべきだ。スチュワートが環境保護や動物愛護を訴えるならば、加害者の意識を持ち、そうした事態が起きている原因を正しく認識することに尽きる。最後にコスタリカで乱獲反対のデモが起きた事実が描かれるが、それで解決するほど、世界は単純ではないだろう。


ファーストフード.jpg ドキュメンタリーではないが、リチャード・リンクレイターの「ファーストフード・ネイション」は、経済至上主義とグローバリズムを推進してきたアメリカのひずみが描かれて、まことに興味深い。ファストフードという世界を制覇した食品がその舞台裏ではメキシコ人不法移民の過酷な労働で成り立っていること、効率化のもとで品質がおろそかにされていることが、群像劇の形で浮き彫りにされている。牛の解体の映像を入れ込みながら、経済と効率化で荒廃するアメリカ社会の状況を垣間見ることができる。「スクール・オブ・ロック」などで知られるリンクレイターの、ジャーナリスティックな側面を知る格好の作品となっている。



 食材を安価に得られるという、グローバリズムの恩恵に少なからず浴しているわたしたちが、グローバリズムの名のもとに行われている搾取の構図を改め、それぞれの民族が持つ固有の文化である食を守ることができるのだろうか。この特集の作品群が提示するテーマは深く、重い。


<特集ページ>
ドキュメンタリー映画で食を考える!

<オンエア一覧>
ファーストフード・ネイション」 8月3日(月)深夜0:00 [191ch][HV][字]
いのちの食べかた」 8月4日(火)よる7:20 [191ch][HV][字]
おいしいコーヒーの真実」 8月5日(水)よる7:40 [191ch][字]
シャークウォーター 神秘なる海の世界」 8月6日(木)よる7:20 [191ch][HV][字]
ダーウィンの悪夢」 8月7日(金)よる6:00 [191ch][HV][字]



「ファーストフード・ネイション」©2006 RPC Coyote, Inc./「シャークウォーター 神秘なる海の世界」©2006 Sharkwater Productions Inc



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