<すべての道はローマに通ず ―「市民」から「伯爵夫人」そして「女王」へ>
                              
第27回アカデミー賞 助演男優賞:エドモンド・オブライエン


hadashinohakushakufujin.jpg●落日のハリウッド
 第2次世界大戦後、社会状況やライフスタイルの変化、スタジオ・システムの解体、赤狩り、TVの台頭など、さまざまな影響によって、アメリカの映画産業が急速に崩壊・変質を遂げていく中、ハリウッドも従来のように楽天的な"夢の工場"たる地位に自足してはいられず、一見華やかで虚飾に満ちたその神話的世界の舞台裏をより醒めた眼差しで見つめて自らの根本を問い直す、自己批評的な映画が相次いで作られるようになった。

 「ここはスペインのマドリッドだ、サンセット大通りじゃないぞ」という台詞が劇中で飛び出す通り、この『裸足の伯爵夫人』(1954)も、次第にゴーストタウン化する当時の映画の都の実情を辛辣に描いたビリー・ワイルダー監督の『サンセット大通り』(1950)などと同様、この時期登場するようになったハリウッドの内幕ものを代表する古典的名作の1本。やはりその仲間に入るヴィンセント・ミネリ監督の『悪人と美女』(1952)が、1人の映画プロデューサーの波瀾万丈の映画人生を、3人の映画関係者たちの回想を通して描き出すのと同様に、この『裸足の伯爵夫人』では、スペインの貧しい踊り子から見出されて、たちまちスター女優となり、その後さらには伯爵夫人の地位にまで上り詰めた、エヴァ・ガードナー扮する今は亡きヒロインの波乱に満ちた短い生涯を、彼女の葬儀に集まった3人の参列者たちの内的独白と回想を通して振り返り、再構成する形でドラマが進行していく。


●回想の映画史
 ところで、まず主人公の死から物語が始まり、次いで複数の話者たちの回想を交錯させながら、主人公の生前の軌跡を辿り直していくという映画話法は、周知の通り、オーソン・ウェルズの衝撃の監督デビュー作『市民ケーン』(1941)によって一躍有名になり、以後、多くの映画がその手法を採り入れて広く流行するようになったもの。この作品でウェルズと共に脚本を手がけた人物こそ、本作の監督ジョゼフ・L・マンキーウィッツの実兄にあたるハーマン・J・マンキーウィッツだった。

 自分よりひと回り年上の兄の背中を追うようにして1920年代末に映画界入りし、脚本家となったジョゼフ・L・マンキーウィッツは、プロデューサー業への転身を経て、『呪われた城』(1946)でいよいよ念願の監督デビュー。最近WOWOWで特集が組まれたばかりの優雅な美人女優ジーン・ティアニーが主演を務めたこの映画は、実は先に『天国は待ってくれる』(1943)で彼女と絶妙のコンビを組んだ名匠エルンスト・ルビッチが、本来監督するはずだったもの。しかし(以前『あのアーミン毛皮の貴婦人』の拙稿の中で紹介したオットー・プレミンジャー監督の『ロイヤル・スキャンダル』(1945)と同様)、この時期、心臓に重い病を抱え、監督業の激務に就くことを医者から禁じられていたルビッチが、再び映画をプロデュースする側に回り、演出をまだ駆け出しの新人監督の手に委ねて生み落とされたものだった(なお、この『裸足の伯爵夫人』の劇中にも、ルビッチの名前がヒロインの口をついて出る場面があるので、どうかお聴き逃しなく)。

 そして、その後マンキーウィッツが、知的エレガンスに満ちた脚本と演出手腕に一層磨きをかけながら次々と監督作を発表し、とりわけ多元的な回想形式による映画話術の妙と冴えを存分に発揮した『三人の妻への手紙』(1949)と『イヴの総て』(1950)で、2年続けてアカデミー賞の監督賞と脚色賞をW受賞したのに加え、後者ではさらに作品賞など計6部門を制覇し、この時期のハリウッドきっての知性派の映画作家として、揺るぎない地位と名声を確立していたことも、いまでは映画史の常識に属する事柄といっていいだろう。


●映画監督って何だ!
 さてここで、再び『裸足の伯爵夫人』の物語に戻ると、ガードナー扮するヒロインの生前の人生のさまざまな断面を各自異なる視点を通して回想するのは、映画監督、宣伝広報係、そして彼女と結婚することになるイタリア人伯爵の3人。

 ここで汗っかきでおべっか使いの宣伝広報係に扮してアカデミー助演男優賞を得たのが、エドモンド・オブライエン。彼はかつて、これまた『市民ケーン』の色濃い影響のもと、ヘミングウェイの原作に独自の映画的肉付けを施し、多元的な回想形式を駆使しながら作られた(と同時に、若き日のガードナーの出世作の1つともなった)ロバート・シオドマク監督の『殺人者』(1946)の中でも、同じように物語の狂言回し的な役柄を演じた経歴があるが、彼以上に本作で光る演技と存在感を披露しているのはやはり、マンキーウィッツの分身ともいうべきベテランの映画監督に扮したハンフリー・ボガートだろう。

 先にニコラス・レイ監督が発表した、赤狩り時代の人間不信の絶望的空気を息苦しいまでに生々しく捉えた、やはりハリウッドの内幕ものを代表する傑作『孤独な場所で』(1950)の中で、自己破壊的な暴力衝動を心の内に宿した映画の脚本家を鮮やかに熱演していた彼が、ここでもいささか人生にくたびれてシニカルではあるものの、なおも心優しいロマンチストとしての一面をのぞかせる役柄を絶妙の味わいで演じていて素晴らしい。

 彼は、うなるほどの持ち金に物を言わせて映画製作に乗り出した"哀れな金持ち坊や"とその取り巻き連中に付き従って、新人発掘のためにはるばるスペインの地までやってきて、ガードナー扮する踊り子と自ら出演交渉をするはめとなる。悪魔に魂を売り渡す「ファウスト」の物語を引き合いに出しながら、その傲慢な金持ちとどこまでもすれ違いの対話を繰り広げるボガートの姿は、その後ジャン=リュック・ゴダールが作り上げる『軽蔑』(1963)の劇中で、かの巨匠フリッツ・ラング本人の演じる映画監督が、(以前にやはり拙稿で紹介した、ロバート・アルドリッチ監督によるハリウッド内幕ものの傑作『悪徳』(1955)の中での役柄を裏返す形で起用された)ジャック・パランス扮する俗物根性丸出しの高圧的プロデューサーの下で働かされるはめとなり、嘆息まじりに「毎朝パンを買うために私は嘘が売られている市場へ行く」と、ブレヒトの諷刺詩「ハリウッド」をそらんじる姿を先取りしている。

 そして楽屋の控室を訪れて男と密会中のガードナーと鉢合わせすることになったボガートは、自らの野性的本能の赴くまま自由奔放に振る舞うものの、意外と根は素直で純情な彼女の人間性に心打たれ、プロデューサーの毒牙のあえない犠牲者にならぬよう、「ローマでスクリーン・テストを受けるがいい」と親身になって助言を与えつつ、現代のシンデレラたる彼女のその後の運命の道を切り拓く、良き先導者の役を買って出ることになるのだ。


●ローマ、マドリッド ― ハリウッドから遠く離れて
 でもここで、なぜハリウッドではなく、ローマなのか? 実はこの時期、第2次大戦後すっかり荒廃したヨーロッパ諸国に対し、経済復興計画「マーシャル・プラン」を推し進めていた戦勝国アメリカの映画産業は、海外市場で得たドル利益の大半が国外に持ち出すことできずに凍結されてしまう制度上のハンディを克服し、この凍結資本を何とか活用して自らの懐に還元させるべく、海外に出向いてその地で映画を作り上げる「ランナウェイ方式」と呼ばれる妙案をひねり出していた。

 異国情緒に満ちた新鮮で魅力的な風景、人件費の安さなどの事情も手伝って、ハリウッド映画の海外での製作には一層拍車がかかり、かくしてかのお馴染みの『ローマの休日』(1953)などがこの頃、ローマの市街ロケから誕生することになった。マンキーウィッツ監督が自らの独立プロを立ち上げて最初に放った本作も、やはりローマのチネチッタ撮影所で生み出されたもの。その劇中では、自らの分身たる映画監督に、困難な状況下でもなお人間としての尊厳と誇りを失わない騎士道精神を付与できたマンキーウィッツだが、やがて彼は、ある映画製作のドタバタ騒動に駆り出されてこのローマの地に舞い戻り、ハリウッドの屋台骨を大きくグラつかせたことで映画史上に悪名高いあの世紀の失敗作、『クレオパトラ』(1963)の最終クレジット監督の汚名を被って一敗地に塗れることになるのだ。

 さらにまた、『裸足の伯爵夫人』のボガートがガードナーを発掘した場所が、スペインのマドリッドであったというのも、これまた単なる偶然を超えて何とも意味深長で象徴的というよりほかない。なぜなら、その後独立プロデューサーのサミュエル・ブロンストンがこの地に巨大な映画撮影所を建造し、ニコラス・レイが監督し、ガードナーも出演した『北京の55日』(1963)や、アンソニー・マン監督の『ローマ帝国の滅亡』(1964)等の史劇の超大作群を生み出すことになるからである。先述の『クレオパトラ』と同様、これらもまた、往年のハリウッド帝国の終焉を文字通り告げる、巨大な墓標と言うべき夢の跡だった......。


<P.S.>
 ところで、実は今回WOWOWでオンエアされる『裸足の伯爵夫人』は、公開当時に劇場で上映され、その後、日本や海外でビデオやDVDとしてソフト化されて現在市場に出回っている従来版とは若干内容の異なる、貴重なレア・ヴァージョンとなっているので、説明がまた長くなるが、最後に付記しておくことにしたい。

 『市民ケーン』の劇中の主人公が、実在のメディア王ウィリアム・ランドルフ・ハーストをモデルにしたことで知られているのと同様、本作の劇中にカーク・エドワーズという役名で登場し、初めての映画製作に乗り出そうとする傲岸不遜な大金持ちのモデルとなったのは、あの数々の奇行で知られた伝説的大富豪、ハワード・ヒューズその人。プレイボーイとして数々のハリウッド女優たちと浮名を流した彼は、かつて若き日のエヴァ・ガードナーとも醜聞沙汰を引き起こした過去の経歴があった(一方、ガードナー演じるヒロイン、マリアの役柄は、彼女自身の実人生のほか、スペイン人のダンサーの娘としてNYに生まれて、ダンサーからスター女優への階段を駆け上がり、オーソン・ウェルズ、次いでアリ・カーン王子との結婚・離婚を経験した、リタ・ヘイワースの人生を主要モデルにしているとされる。ちなみに、この映画の撮影当時、フランク・シナトラの妻だったガードナーは、その後スペインの有名闘牛士との恋に走る。また、グレース・ケリーがモナコ公国の大公夫人となるのは、本作公開から2年後の1956年のこと)。

 さてマンキーウィッツ監督は、このカークの人物像を、祖父が財を成し、母親から巨万の富を受け継いだテキサス出身の"哀れな金持ち坊や(=poor little rich boy)"として設定したが、いざ映画が出来上がり、劇場公開が間近に迫った段階でそのことを聞きつけたヒューズが、このままの状態で本作を公開するなら名誉棄損罪で訴えることも辞さないと同監督に圧力をかけて、劇中の台詞の差し替えを要求。マンキーウィッツ監督は、映画の完成後、既に主要キャストたちも各地に散らばり、今さら彼らを再招集して台詞の録音のやり直しをしている時間的余裕など到底ない、と必死に抗弁したものの、航空会社TWAの社主でもあったヒューズが、自社のジェット機の提供を喜んで申し出た結果(!)、劇中の台詞の一部が大急ぎで録音し直され、先述の「祖父が財を成し......」以下の人物設定が取り消されて、NYの裏町からのし上がり、ウォール街を支配する成り上がり者という設定に変えられるなどの修整処理が施されることになったという。

 このヒューズの要求をやむなく呑んだ修整ヴァージョンが、『裸足の伯爵夫人』の従来版として長らく流通してきたわけだが、どうやらここ最近になってそれが、マンキーウィッツ監督が意図して作り上げた当初の完成版に差し戻されたようだ。それが具体的に、いつ、誰の手で修復されたものなのか、筆者は寡聞にして知らず、今回この注記を書くにあたってネットであれこれ検索してみたが、この新たな修復版に関して触れた記事を残念ながら見つけることが出来なかった(なお、映画作家が既に死去した後になって、彼の当初の意図に近い形で映画の修復版ないし再編集版が作られたケースとしては、オーソン・ウェルズの『黒い罠』(1958/1998)やサミュエル・フラーの『最前線物語』(1980/2004)などの先例がある)。興味のある映画ファンは、ぜひ2つの版を見比べてみることをお薦めしたい。


「裸足の伯爵夫人」
[191ch][字] 1月19日(水)午前11:00



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