ソウルシンガーの憂鬱(2015/3/2配信)

2015/03/03

ソウルシンガーの憂鬱_re.jpg

今回のテーマは『ソウルシンガーの憂鬱』

西寺郷太さん、吉岡正晴さん、バニラビーンズのリサさんでお送りしました!



今回はテディ・ペンダーグラスを中心に、フィラデルフィアレコードやハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツについて深掘り!

曲も聴きながらの贅沢な配信となりました!

今回お届けした曲はコチラです!

Do Me

Close The door

Wake Up Everybody

Hold Me (with Whitney Houston)

If You Don't Know Me By Now

 

テディ・ペンダーグラスは、一人の歌手の物語として大河ドラマになりそうなくらい数奇で激動の人生を歩んだソウルシンガー。

1950326日生まれで、もともとドラムをしていました。17歳、18歳ごろからソウルシンガーのバックバンドでドラムをたたき、南部近辺のライブハウスで仕事をしていましたが、その後、地元フィラデルフィアで活躍していたボーカルグループ、ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツのドラマーとして雇われます。そこでコーラスの歌声を聞いたバンドマスターのハロルドがリードシンガーに抜擢。フロントに立ちリードを歌うことから世の中にテディが知れ渡っていきますが、グループ名が"ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツ"であるが故に、名前と顔が一致せずにハロルドだと勘違いされていたこともあるのだそう。フィラデルフィア・インターナショナル・レコードの大物プロデューサーであるギャンブル&ハフがCBSレコードと配給契約を結んだことや、当時のFMラジオのステレオサウンドの普及などにより、リッチな曲で良いヒット曲がたくさん出てきましたが、その度にスポット浴びるのはリードシンガーのテディ。認知度が高まるにつれてグループ名に不満を持つようになります。ボスのハロルドに対し、自分を拾い上げてくれた感謝の気持ちはあるけれど、大事にはされてないというような気持ちはあったようで、76年にソロで独立。

結果として、ソロとして独立する際にハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツはフィラデルフィアとの契約は切れ、ソロシンガー、テディ―・ペンダーグラスと、オージェイズというソウルグループが、フィラデルフィアインターナショナルの両輪として走り出しました。

 

日本で一番知られているだろうテディの曲が「Do Me」。「8時だョ!全員集合」のヒゲダンスで用いられ話題になり、急遽シングルもリリースされたほど。この曲はアップテンポなナンバーですが、リズムに乗ってメロディをきっちり浮かび上がらせられるのは、ドラマー出身でリズム感抜群なテディはさすがの一言。バラード歌える人は結構いるけれど、アップテンポのリズムに乗って上手く歌えるシンガーはなかなかいないと吉岡さんは語りました。

 

ベッドミュージックの極致だと語られたのが「Close The door」。

78年にソロになって初のヒット曲で、セクシーソウルのNO.1!モテるためのマストアイテムとして常備しておくべき!と熱弁する郷太さん。

テディ自身もアイドル的なセックスシンボルとして、女性からの絶大な人気を誇り、コンサートでは女の子が皆ステージにパンティー投げ、歌いながらパンティーの雨が降ってくるなんてことにもなったのだとか!今ではよくありますが、当時には珍しい女性のみが入れるコンサートを行ったりもしていました。

 

Wake Up Everybody」は75年にリリースされたハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツ名義のアルバムのタイトル曲。当時の社会情勢に対し、みんな目を覚ませよ!こんなことでいいのか!というメッセージソングで、マーヴィン・ゲイの「What's going on」と同じくらいのインパクトを持っていました。プロデューサーであるギャンブル&ハフは黒人の公民権運動などに積極的に関わり、音楽を通して主張を強く打ち出す人達。彼らのアルバムジャケットには必ず一言、「There's a message in the music(音楽の中にはメッセージがあるよ)」というキャッチフレーズが。ギャンブル&ハフはフィラデルフィア・インターナショナル・レコードのマスターマインドで、彼らのメッセージを乗せて走る11つのコマがテディであり、オージェイであり、彼らの傘下にいるシンガーたちでした。

 

いよいよ自分の名前でヒット曲が出て、自分の名前でライブができるようになって、人気も実力もナンバーワンとなったテディ。しかし、19823月にテディの人生が急落します。

フィラデルフィアで自分が運転する車が雨の日にスリップして木に大激突。命は九死に一生を得ましたが、下半身不随で車いすの生活となってしまいます。立って踊って腰を動かして人気になったソウルシンガーだったテディがそれをできなくなるのは、テディにとっても音楽シーンにとっても大打撃で、フィラデルフィアソウルの終焉かと言われるほどでした。

 

もう復活はできないと言われていたテディですが、車いすに座っていれば歌えるということが判明。そしてある種復帰作となったのが、これからスーパースターになろうかという当時ド新人だったホイットニー・ヒューストンとのデュエット「Hold Me」。作品84年にリリースされたこの作品で実に2年ぶりの復帰となり、ホイットニーも85年にデビュー。テディはその年の7月に行われたアフリカの飢餓を救うことを目的とした大チャリティコンサート「ライヴエイド」で初めて車いすで人前に登場。事故から約3年半ぶりに10万人の前に車いすで現れて拍手を浴び、奇跡の復活を遂げました。

 

踊って歌って人気を博したスーパースターの立場は無くしたけれど、、自分は歌声で人々を感動させることができることに気付き、改めてソロシンガーとしてやりなおしたテディ。

2010年に大腸がんで亡くなってしまいますが、晩年は車いすの人達を支援するチャリティーもするようになり、自分が車いすのシンガーになったことの弱音を人前では出さなかったけれど、自分の生き様を積極的にチャリティへと投影していたようです。

 

番組最後は、ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツ時代の最初のミリオンセラーでディスコのチークタイムで良くかかっていたという「If You Don't Know Me By Now」を聞いてこの日の配信は終了したのでした。

 

3/15(日)にWOWOWで放送される【稀代のソウル・シンガー:テディ・ペンダーグラス特集】の2つのライブはどちらもとても貴重な映像。

「オフビート&JAZZ テディ・ペンダーグラス ライブ・イン 1979」はまさに絶頂期のライブ、そして「洋楽ライブ伝説 テディ・ペンダーグラス ライブ・イン・ロンドン 1982」は19822月に収録されていて、なんと事故起こす1か月前のライブ。

どちらも貴重で、今回のぷらすとでのお話とあわせて聞くと一段と味わい深いはず。

ぜひテディ・ペンダーグラスのソウルフルな歌声をたっぷりお楽しみください!

詳細はコチラ⇒http://bit.ly/1B4NeT9

アーカイブ

2018年

2017年

2016年

2016年3月

2015年

2015年3月
2015年6月
2015年7月

ブログを購読する ブログを購読する

WOWOWぷらすと 公式Twitter

WOWOWぷらすと 公式Facebook

ぷらすと 公式Instagram

WOWOWは初月料金なしでお得!ご加入はこちら

▲ページTOPへ