健さんと八甲田山(2015/6/2配信)

2015/06/03

健さんと八甲田山.jpg

今回のテーマは『健さんと八甲田山』
中井圭さん、春日太一さん、早織さんでお送りしました!


春日さんが自分の人生そのものだという「八甲田山」。

「俺は前回の金田一回で燃え尽きてるんだ・・・」なんて弱気発言もありましたが、でもやっぱり喋り出したら止まらない!

今回は日本映画史上最もクレイジーな映画だという「八甲田山」を122%楽しむための入門編です!


日本映画で一番視聴回数が多い作品だというだけあって、語りたいテーマがめちゃくちゃ多いという春日さん。

でも、有名な作品なのでタイトルは聞いたことがあっても、見ていないという人も多いのではないでしょうか?この映画は基本的に前提の知識がないと何が何だかわかりにくく、一言で言うと雪の中で人が死んでいくだけの映画。八甲田山中で撮っていて、高倉健さん演じる徳島大尉と北大路欣也さんが演じる神田大尉の2部隊がいますが、今映っているのがどっちの部隊なのか、今どこを歩いてるのか、何に向っているのか、ということがわからなくなってしまいがち。

早織ちゃんもあらすじを読んだだけでは観ないだろうなという映画だったそうです。「でも観てみたら、役者の演技の凄さや厚み、映画の持ってる熱がある気がして集中して観ちゃった!前提や背景の知識がないからそれが聞きたい!」と早織ちゃんも興味津々!


まずはそもそもの題材となった八甲田山遭難事件について解説。この事件は、1902年に起こった世界の山岳遭難事件史上、最悪の被害者数を出した事件です。

この雪中行軍の目的は、1904年の日露戦争開戦にむけて、戦場となる満州の寒さを想定した雪中での動きや輸送の手段のための実験。そして、ロシアが北海道から進行してきて弘前と青森の間の連絡路を遮断された際に、山を越えて連絡することができないかの実験です。

このために、青森から210名の部隊が出発しますが、最終的に基地に帰ってこれたのは11名のみ。今とは比較にならない薄着で、尚且つ知識もない状態で体感温度-50℃の山中に入りますが、指揮系統の混乱や吹雪が重なり遭難。199名が亡くなりました。

そして同時に弘前側からも出発した部隊がいて、彼らは弘前から十和田湖の南を迂回してぐるっと回り、わずか27名で踏破。この二つの隊の在り方が実に対比的で、人生訓や組織論としても語られています。


この映画でキーパーソンとなったのが、脚本の橋本忍さん、監督の森谷司郎さん、撮影の木村大作さん。

橋本さんはデビューから黒澤明監督の最盛期を支えた戦後最大の脚本家。共同脚本でやっていたことから黒澤監督の丁稚のように思われていましたが、それが嫌で独立し、名声を確実なものに。

この人が凄いのは作品そのものもですが、60年代終わりに日本映画界が斜陽になる中、橋本作品は大ヒットを出し続けたこと。毎年橋本脚本作は超売れていて、「八甲田山」は77年の1位です。

橋本脚本作の特徴は、不幸をエンターテインメントにできることで、これが上手くいった理由。難病モノなどの小さなものじゃなく、人類規模とか、人間の中にふっと湧いてくる理不尽な不幸をエンターテインメントにしたのです。この描き方をした作品は他にも「砂の器」、「日本沈没」、「私は貝になりたい」などがありますが、「八甲田山」は橋本さんの真骨頂なのです!


そして橋本脚本においては、ト書きの書き方が重いのも大きな特徴。

輸送のソリについてのト書きを読んでもらいましたが、めちゃくちゃ長い!早織ちゃんも今まで触れてきた作品はト書きが少なく、ここまでのものには出会ったことがないと自身の経験を語りました。

でも、このト書きを聞くだけでもあの映画内の映像が思い浮かびます。橋本さんの中では場面が見えていて、血がにじみ出るような書き方。このト書きが、映像にする側も演じる側にも半端にはできないと思わせる重みになっています。絶望的と書かれているその絶望を忠実に映像化したんだと思うと、その凄まじさにグッとくると語られました。


この無茶な企画を現実のものとしたのが橋本プロダクション。この製作会社は、邦画メジャーで大作映画を作ることに限界を感じた橋本忍さんが設立。

当時、邦画メジャーは大勢のスタッフじゃないと大作は作れないというのが当たり前の意見であり慣例でしたが、映画不況でお金も集まらず、小規模しか作れない状況でした。でもじゃあ大作は作れないのか?という疑問を橋本忍さんは投げかけます。さらに、邦画メジャーの力を借りずに作れるんじゃないか、むしろ邦画メジャーが現状を邪魔してるんじゃないのか?という思いがありました。そこで、メジャースタジオと逆のやり方をしたら当たるんじゃないかと考えたのです。


橋本さんの理想は少数精鋭。「八甲田山」は少数に絞り込んだからこそ成功しました。そのスタッフの人数はなんと、弘前隊には11人、青森は25人!これを聞いて、あんな映画にそんな人数で?!そんな、まじで?!と一同驚愕!

これはまさに「八甲田山」と言う映画そのもの。山の中に大人数のスタッフを入れる場所も泊まらせる場所もないし、その人数分の食糧だって運ばなきゃいけない。大人数でやることで機能しなくなることもあるのです。これはメジャースタジオの発想ではできないことでした。

また、橋本さんは超売れっ子脚本家なだけあって、売り込む必要がないので予算を現場に集中できるし、自分でお金を出すからこそ何年も時間をかけられたこともポイント。

さらに、スタッフはやりたい人だけを集める"この指とまれ方式"。口を出したがる人や、困難だからやめましょうという人も排除できます。


つまりこの映画は徳島隊と神田隊の関係性そのものであり、映画界への痛烈な皮肉となったメタ構造になっています。

完全な準備をしたやる気のある精鋭たちが時間をかけてでも一つの踏破をすればうまくいく。どれだけ人数が居てお金をかけようが、指揮系統がバラバラで準備せずに入って行ったら悲惨な目に合う。この根底が橋本さんの中にあるからこそ、対比が浮き彫りに。まさにそれぞれが辿った道筋とも一緒なのです。


そしてこの作品をクレイジーだと言わしめるのが何と言ってもその作り方。

雪が解けた頃の八甲田山で実際の走破した道を歩き、まずロケハン。

橋本さんも最初はやっぱり「山なんて稜線がでればどれも同じだ、だから東京に近くて温泉のあるところでやればそれでいい」と思っていたそう。でも、実際に行って見てみると、景色の大きさも全く違うし、異常な気象条件のヤバさはスキー場の人工雪では無理。八甲田でなくては、ということで撮影が行われたのでした。


とはいえ、普通に登山するのとはわけが違います。八甲田自体が今の最新鋭の装備でも危ないと言われる場所であり、さらに撮影をしなければなりません。

そこで、まず最初に実験を行います。75年2月に実景を獲ると同時にカメラテストをして、何日ぐらいで撮影ができるのか、地吹雪でどれだけがカメラに映るのか、どんな服装と装備が必要なのか、などを入念にチェック。


それを踏まえて75年3月から脚本を書き始めます。脚本を書く上で大事なのが人間の無力さを描かなければいけないということ。台詞中に出てくる、「白い地獄」「冬の八甲田は頑として人を阻み通ることを許さない」などの言葉や「突風が渦を巻き吠えたてる」のト書きは、実際にロケハンをし、自分で体験してきたからこそ出てくる言葉。これらの壮絶さや自然の猛威は見てきたからこそ書くことができ、撮れる自信があるからこそ生まれた脚本なのです。


そしてこの撮影を現実のものとしたのが役者の指導や現場の運営を行った森谷監督と、命知らずのカメラマン、木村大作さん。

木村さんは目立つためなら何でもやることで有名。ビルの屋上からバンジー状態で俯瞰の絵を撮ったりと無茶苦茶な撮影をやってきました。

だからこそ、森谷監督も「木村しかしかいないから、他なら降りる。」として受けたそうです。

結果的にこれが大正解。狂気の現場に行くにはそれ以上の狂気が必要で、木村さんの存在が現場を引っ張りました。


撮影がはじまった1年目。この76年1月記録的に雪が降らない年でダンプ15台分の雪を買ったほど。

そして本番となる2年目が地獄。この撮影時には雪がめちゃくちゃふり、八甲田山中は体感温度-35度。

当時森谷さんは「死ぬかと思った。」とコメント。これには「普通やないか!あたりまえやぞ!絶対助監督はもっと死ぬと思ってるよ!w」と総ツッコミでしたが、助監督は「ここは精神力でも克服できないところ」と話し、木村大作さんですら、「あれはもうカメラのメカニックに頼る限界だった」と機械も音を上げる程の過酷さ。三國連太郎さんは寒さのあまり、口と鼻の部分に穴をあけたパンストを頭からかぶった程。望遠で撮っているのでわからないだろうという事からの行動ですが、演技の鬼がパンストを被った程に地獄だったのです。

その寒さで更に大変なのが待つこと。新雪に足跡を付けられないため、吹雪待ちの間歩くこともできず立ったままいなければなりませんが、休憩時間がまさに地獄。動くなよって言っているのに列から離れてタバコを吸う役者がいて、「動くなって言ってんだろう!!」とキレたら緒形拳さんだったなんてことも。


もちろんこれだけの狂気の現場では事件も多発。ステーキ事件、エキストラ脱走事件をはじめ、何も起きないわけがありません。

深刻なのが帰りたい問題。素っ裸で雪の中に突っ込んで死ぬシーンは、-35℃の中で普通なら嫌がることかと思いきや、この1回を我慢して役が死ねば帰れる・・・!と志願者が3人も。

スタッフはこの指とまれで集まった人達ばかりですが、俳優はそうではないため、不安不満が募ります。これにはスタート時点から問題が起きていて、ただひたすら歩かされる中どんどん士気が落ち、十和田湖では撮影が始まっても役者が動かないということが。これに一計を案じたのがクレイジー木村。自ら十和田湖の中に入り込み、水面ギリギリからのあおりのショットを撮影。森谷監督も湖中に入り、よしここでやるぞと始めます。さすがに役者もこれを見てしないわけにはいかず、感動した高倉健さんは二度とこの人に逆らってはダメだとビシッと演説したのだそうです。


さらには泣けるエピソードも語られました。

ノースタントなだけに、大絶壁も本当に役者が登って撮影をしています。その途中、北大路欣也さんは足を滑らして落ちてしまいますが、ふと引っかかったところに加山雄三さんが。加山さんは自分の手を雪につっこみ、ひたすら登れと絶えず北大路さんの靴底を支えたのです。

また死体安置場でのシーンの撮影日、北大路さんは「今日は健さんが棺を開けるまで健さんに会いたくない」と撮影が始まるまでの数時間の間も棺の中にひとり入り続けました。いざ撮影になると、高倉健さんも入り込み過ぎて涙が止まらなくなり、セリフ出てこなくなったほど。出たのは、「今日は確かに雪の八甲田で神田大尉に会いました」の一言のセリフでしたが、このセリフでいこうとあのシーンが出来上がりました。


あのシーンからは芝居を超えたものを感じられます。高倉健さんは、この仕事をやったら俺は何でもできると言ったのだそう。この作品は、八甲田に入り込み苦しんだ男たちの間に生まれた友情も、そのまま映画に叩きつけられたドキュメントとして観ても楽しめると語られました。


映画「八甲田山」の貴重な制作の裏側の話に続き、実際の事件と映画の違いについても教えていただきました。

映画ではふたつの部隊が交差することが軸となっていて、徳島大尉と神田大尉の友情関係がモチベーションになっていますが、これは史実にはないこと。実際にはふたつの部隊は別々の目的で出発していて、バッティングしたのは偶然でした。


弘前隊のメンバーは山岳走破をやってきたスペシャリストを約束付けられた人達で、その最終攻略地点として課せられていたので慎重にするのは当然のこと。対する青森側の目的は、どういう装備が必要か、何人必要なのか、どういう輸送手段が必要なのか、という日露戦争に向けての人体実験でした。青森側は成功すればそれでいいというわけではなく、実験データを持ち帰らなけれならなかったのです。

さらに、案内人の置き去り事件、神田大尉の雪中行軍経験、山田少佐の自殺についてなども、史実と違う点があり、これを陰謀論で考えると面白いという春日さん。まず最初の命令の段階から悲劇が約束されてるし、人体実験の段階で起きなければならなかった悲劇だとも考えられるのでした。


そして最後に、春日さん流八甲田山の楽しみ方を教えて頂きました!

それは、雪が降ったり風が強かったりする日に、部屋の窓を全開にして薄着で臨場感を出すこと!

普通の中で見るのとヤバい条件で見るのとでは全然違うという春日さん。これを毎年やっているそうです・・・。

「春日さんも正しく狂ってる」「春日さん、なにしてんすか?」とのコメントも多数。春日さん、クレイジーです・・・・!


また、もう一つのオススメが地図のナビとあわせてみること。

春日さんは雪中行軍の2隊のルート

八甲田山①_re.jpg


と、八甲田山での遭難地の詳細

八甲田山②_re.jpg


の地図を持ってきてくださいました!


WOWOWでは八甲田山を6/6(土)午前11:00~初回放送!


事件のあらましや映画界の歴史的背景、青森の地形も踏まえると、また違った観方ができるはず!

本日のぷらすととあわせてお楽しみください!

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