戦後の戦争映画(2015/7/31配信)

2015/08/05

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今回のテーマは『戦後の戦争映画』。
中井圭さん、春日太一さん、早織さんでお送りしました!
戦後、日本映画は戦争をどう描いてきたのかを語った今回のぷらすと。ゲストの春日さんに年代別の戦争映画の傾向を解説頂きつつ、ここで全て書ききれないほどの沢山の戦争映画を紹介いただきました!今回も春日さんノンストップの無双回!(近日中にアーカイブ化しますので、ぜひアーカイブもチェックしてみてください!)

1945年8月15日の終戦後、戦後の闇市の話などの映画は作られていましたが、戦争映画が作られるようになったのは1950年の1月のこと。
1950年代の戦争映画は"主人公が善人で被害者である"ことが基本構造。主人公が被害者であることに対して、加害者はだいたいが軍の上層部。軍の上層部は理不尽で身勝手な絶対悪の存在として描かれ、主人公が無残な最期を遂げるという非常に後味が悪いものでした。

最初に作られた戦争映画は谷口千吉監督の『暁の脱走』(1950)。
この作品はその後の戦争映画の雛形に。その内容を聞き「まるでアメリカンニューシネマ」と、中井さん。春日さんは「日本の戦争映画はニューシネマ的なところがある。ニューシネマもベトナム戦争の敗北を経てるから、同じように虚しさが基本的にあって、権力に負けていく構造がある」と語りました。

この『暁の脱走』と山本薩夫監督の『真空地帯』(1952)を経て、集大成化して作られたのが小林正樹監督の『人間の條件』(1959〜)。
サンフランシスコ平和条約で独立後、日米安保条約の締結により再び軍隊を軍備してしまう日本。アメリカと軍事同盟を結ぶことで、当時の日本人たちは再び戦争に巻き込まれていくのでは、と思い始めます。そういった社会的背景がありベストセラーとなった五味川純平さんの同名小説。

この小説を原作に作られた計6部からなる超大作映画。主人公、梶役に抜擢されたのは当時無名の新人に近かった仲代達矢さんでした。梶は、正義の男。当時の時代においては、正義を貫く男が一番狂っているという小林監督の中で解釈があり、狂気の目を持った仲代さんが抜擢されたのだそうです。
逃れようのない巨大な理不尽に対して戦おうとする主人公の姿は、日本がもう一度戦前に戻ってしまうのではとの不安に対して、戦前に戻さないために戦い抜こうという、五味川さんや小林監督のメッセージであると語られました。

さらに若者たちの命が散っていってしまったことで、生き残った人々の慙愧の念、悔しさ、悲しさを描いていくというのも50年代の戦争映画の特徴。
作られたのは『きけ わだつみのこえ』(1950)。この作品もその後の戦争映画の描き方の大きな雛形になっていくというエポック的な作品で、生き残った人々の責任や、これから生きて行くべき姿を問いかけたもの。
無残な死を遂げていった若者たちのためにも、生き残った人々が未来をちゃんと作っていかないといけないという意思表示のために作られた作品だったのです。
『きけ わだつみのこえ』は大ヒット。ここから反戦メッセージを出すとヒットすることにもなっていき、50年代の柱として作られていったのでした。

この後作られたのが『ひめゆりの塔』(1953)。叙情的な生が描かれる一方で死が淡々と描かれた作品は「ある日突然日常の延長戦上が突然途切れるっていうことの恐ろしさが描かれている」と、中井さん。春日さんはそのラストシーンから、「なんの余韻もなく、劇的に強調することなく死がくるから真実として迫ってくる」と語りました。

そして、もうひとつの柱となるは、特攻隊の問題。
『雲ながるる果てに』(1953)は鶴田浩二さん主演の、生きていながら早い段階から死を受け入れざるをえない若者たち、特攻隊の話。散っていく若い命の悲痛な叫びをぶつける作品で主人公が両親に当てた手紙が読まれるラスト、「極めて健康」という一言で理不尽さが表現されているのでした。

無駄に命が散っていった日本の戦争。きちんと描いてきたのが50年代の戦争映画。死に直面していた中で生き残った人々の、二度と戦争は起こしたくない、起こしてはいけないと、何のてらいもない純粋なメッセージがそこにぶつけられているのです。

少し捻って作られたのが市川崑監督の『ビルマの竪琴』(1956)、『野火』(1959)。主人公が戦場の地獄を巡っていく中で、人間の心の変化をある種実験的に、ドキュメンタリータッチで描いた作品。
普通に生きてきた人間の尊厳が理性と共に簡単に排除されてしまう、それが戦争という状況だから戦争は起こしてはいけない、ということをおっしゃっていたという市川監督。その尊厳を絶えず突きつけられるのが『ビルマの竪琴』と『野火』なのでした。

「50年代は戦争が終わってすぐの生の感覚で作っているから、後の世代が作った映画とあきらかに違う」と、春日さん。「映画の出来がどうこうとかあるけど、それ以上に理性を超えて伝えないといけない何かがある。だからこちら側にも理性を超えて伝わってくる。この時代の映画を見ているとやるせない。本当に心がかきむしられていってしまう」と語りました。

問題意識を持って作られてきた1950年代の戦争映画ですが、60年代になってからは大きく変わります。高度成長期に入り、東京オリンピックに向けて、人々の関心は戦争から経済の方向に変わっていくことに。町も整地されていって、戦争の記憶が薄れていくと、戦争映画の描き方にも変化が訪れたのです。

60年代は、戦争という理不尽はあるけれど、そこに対して果敢に立ち向かい、下手したら打ち勝ってしまうようなヒーローが登場。戦争を娯楽として受け入れるだけの余裕が出てきて、コメディタッチの映画や、アクション映画が作られることに。
一番大きなスタートダッシュとなったのが岡本喜八監督の『独立愚連隊』(1959)。
中国戦線の前線にいる独立愚連隊という軍隊のはみ出しものたちの様子をコミカルに描いた本作は、後半西部劇タッチの渇いたアクション映画っぽくもあり。アクションの面白味、コミカルな楽しみ方で悲惨な戦争の状況を描く、そうすることでシリアスに訴えかけるのではなくて、娯楽の中で描いていこうとした作品なのです。

シリーズ化された『独立愚連隊』はどんどん人気になっていき、一気に戦争映画を娯楽として描いていく風潮が強まっていったのでした。
ちなみにこのシリーズの中の『血と砂』(1966)は春日さんが大好きな映画。シリーズの一本とされているけど、少年軍楽隊の話である本作は、砲撃と楽器の音のぶつかりあいで、死と生を表現。コミカルに描いているけど、悲しい。岡本喜八監督の最高傑作だと春日さん。
戦争を娯楽として受け入れる余裕があると同時に、やはりどこかで戦争に対する怒りと恨み辛み、それからやってはいけないという思いが残っていて、そのせめぎ合いのなかで生まれていった作品なのだとか。

娯楽作品としては、勝新太郎さんの代名詞となっている『兵隊やくざ』(1965)も!
軍の理不尽との戦いを痛快に描いたのが本作。ほかに『いれずみ突撃隊』(1964)や『陸軍中野学校』(1966)など。この時代アクションやコメディで描いていく戦争映画に共通していることは、舞台が南方戦線ではなく中国戦線ということ。中国の風景は大陸で乾いているため、アクションを描いたり、カラッとしたコメディを描いたりするのにも向いていたそう。逆に基本的に島で逃げ場のない南方戦線では描かれづらかったのでした。

東宝円谷特撮の戦争映画のお話も!円谷特撮の娯楽映画として見せるためにはドラマが悲惨すぎるのはNGで、アクションとして見せたい。そこでできたのが『太平洋奇跡の作戦 キスカ』(1965)と『ゼロ・ファイター 大空戦』(1965)。WOWOWでも放送されるこの2作は、暗い、ジメッとしている、救いがない、という日本の戦争映画のなかで、数少ない純然たるアクション娯楽映画としての描かれ方をしている作品。ぜひ放送をチェックしてみてくださいね!

60年代の終わりから日本映画界は大斜陽期になっていき、小さい作品は作れなくなって、超大作を作るように。各映画会社が、1本の映画を総力戦で戦って乗り切らないと、という状況になってくると、超大作にしやすい戦争映画がありがたいものに。各社とも大作のオールキャスト映画を70年代にかけて作るようになっていくのでした。

その一方でこの時代はもう一回ジャーナリスティックに、戦争をとらえ直してみよう、考え直してみようという動きが日本の文化会全体で巻き起こってきました。その中で生まれたのが東宝8・15シリーズ。その特徴はいろいろな階層の人の動きをオールスターキャストで描くというもの。
岡本喜八監督『日本のいちばん長い日』(1967)年がそのスタート作品。それまでは一兵卒の前線の話で、彼らの苦しみやアクションなどいろいろなもので描いてきましたが、本作ではジャーナリスティックに重層的に物語を描くのでした。
8・15シリーズの最後の作品となるのが『激動の昭和史 沖縄決戦』(1971)。沖縄決戦を俯瞰で描いたのはあとに後にも先にもこの作品だけ。沖縄戦争を映画で勉強するうえではすごくいいという本作もWOWOWで放送がありますのでぜひ!
 
忘れてはいけないのが日活。傾いていた日活が総力を結集して作り始めた戦争映画。
それが『戦争と人間』3部作(1970〜73)。いかにして日本が戦争を始めていったのかということが克明に描かれている作品。第1部は政治的ですが、第2部からは突如メロドラマ盛り込まれたのです。エンターテイナーである山本薩夫監督は反戦や戦争の悲惨さを訴えるだけでは観客がついてこないとわかっていて、観客の引きになるものとして、ラブストーリーやアクションなどを盛り込んで、観客を楽しませつつ、気がついたら軍部批判をするような仕掛けを作っているのでした。

しかしその後、どんどん戦争が風化していきます。普通に戦争を描いていてはお客さんが入らない状態。デコレーションが必要になってきたのです。
70年代後半に日本映画がボロボロになり、戦争映画を作る体力もなくなりましたが、80年代に入ると角川をはじめとする大作路線が息を吹き返し、東映の戦争映画『二百三高地』(1980)が大ヒット。

この作品がその後の戦争映画のヒットの法則を確立。
法則その①は、戦場ではなく召集前にメロドラマや家族のドラマを兵士たちに持たせる。
法則その②は、戦闘シーンをとにかく大掛かりに作って悲惨にすること。
法則その③は、エンディングやクライマックスで流行歌手による壮大で感動的な主題歌を流すこと。
これが『二百三高地』に始まったヒットの法則なのでした。

さらに90年代でこのヒットの法則に4つめの要素が加わることに。
法則その④は、「現代人の視点」が入ってくること。
80年代につくられた雛形を土台にしつつ、現代人の視点から戦争を見つめ直したのです。
象徴的なのは戦後50周年記念作品で作られた『WINDS OF GOD』(1995)、『きけ、わだつみの声 Last Friends』(1995)どちらも現代人が戦時中にタイムスリップする話。

時間の経過によって、戦争体験者が減ってきてしまっているため、現代というファクターを入れないと、共感してもらうことが難しい状況に。その後2000年代は『男たちの大和』(2005)、 『永遠の0』(2013)が作られました。どちらも現代人の目からその世界を描いていくという作品。これが90年代以降の大きな特徴なのでした。

番組終盤で「50年代の戦争映画を見直すべきだと思っている」と、春日さん。「戦争が終わったあとの生々しい感覚を持っている人の戦争の考え方は理屈を超えたものだから。それを知ることで戦争をもう1回考え直してみようということになるし、そこに込められている思いはある種ドキュメント。愚直なまでに戦争反対を言っている彼らの悲惨な状況を描いた映画に触れてみるっていうのはすごく大事なこと。」と語りました。
「映画史の中に真実の感覚があるというふうに捉えて見てもらいたい、あと戦争映画を見るときに何年にとられた映画なのかっていうのを意識して見てほしい」と語ったのは天の声こと天明さん。
早織ちゃんからはぷらすと来てよかった〜!と率直な感想が!
中井さんは、映画は点ではなく線でみることをふまえ、「本当に時代ごとの作品が、どう繋がっていくのかがすごく大事。特にそれは社会との照らし合わせということ。深く関与しているからこそ戦争映画は今だけのものだけではなく昔の作品もちゃんと見ないといけないのでは」と語ったのでした。

今回春日さんに紹介いただいた作品のうち、WOWOWで放送の作品は下記のとおり!ぜひ合わせてチェックしてみてください。

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