リヴァー・フェニックスを語る。(2015/9/18配信)

2015/09/25

リヴァー・フェニックスを語る。_re.jpg

今回のテーマは『リヴァー・フェニックスを語る。』
中井圭さん、松崎健夫さん、福永マリカさんでお送りしました!


この日のぷらすとは健夫さんの持ち込み企画!しかもダーク・ブラッドと同じ帽子をゲットして被ってきてくれました!
健夫さん的にも非常に思い入れがあるというリヴァー・フェニックス。今回は23歳の若さで急逝した彼の生涯とその作品についてじっくり語っていきました!

リヴァーの出演作を観て、「子供の時は大人感があって、大人になったら少年感を感じた。色男的感じもあるけれど、あまりに眼が純朴すぎて素直すぎて突き刺さる少年感が凄い!子供の時はいろいろ分かっちゃってそうで辛そうな大人のにおいがして、それが徐々に入れ替わって出てくるのがたまらなく気になる!」と語ってくれたマリカちゃん。
このことを含め、彼の全ての特徴は両親が特殊だったことに起因します。

そこでまずは、両親の生きた時代背景や二人の出会い、リヴァーの出生について振り返り。
両親が大人になった頃は、ヒッピームーブメント真っ盛り。ドラッグの流行や、自然のままに生活するコミューンを経て、両親は"神の子どもたち"というカルト教団にたどり着きます。
この教団は信者を増やすために世界に派遣するようになり、フェニックス家は南米を移動する生活に。そのとき、リヴァーと妹が教団の歌を街に出て歌っていたことが、彼がショービズの世界へ行くきっかけに。財産は教団に捧げるため一家は非常に貧しい生活を送っていましたが、放浪していて一番お金になるのは子供たちが歌っている時だと母がその才能に気付いたのです。
後に教団を出てアメリカに戻ったときには母は放送局の秘書の仕事を請け負い、オーディションを受けさせるように。その中で凄腕子役エージェントの目に留まり、9歳で三菱の車のCMに出演。10歳の時には当時の人気ドラマにゲスト出演し、映画界へはジョー・ダンテのSF超大作「エクスプロラーズ」でデビューを果たしました。
子供なのに大人と言われていたのは、演技でもなんでもなく、子供の頃からそうやって育ってきてたから。稼がなきゃいけない、自分が何かしないと生きていけない、そういうのがということが表情ににじみ出ていたのです。

そして、その次に出演したのが「スタンド・バイ・ミー」。アメリカでは86年8月公開の夏休み映画で、当初はあまり期待されていなかったものの大ヒット。この映画で彼は強い印象を与え、リヴァー・フェニックスの名が知られてスターになるきっかけとなった作品です。
この映画のポイントは、リヴァーと同年代の俳優達と数か月間一緒に過ごしたという事。
フェニックス家が教団を抜けてアメリカに帰ってきたとき、リヴァーはすでに8歳。13歳までに引っ越した回数は45回。まともな教育を全く受けていないし、文化的なことも知らない、友達もいないし作り方もわからない。そんな彼にとって、友達を作ることを覚えたのは嬉しいことで、数か月を共にしたイーサン・ホークが先にクランクアップして帰るときには泣き崩れたほど。
またこの作品では、少年達の本当の絆を映画の外で作れば、映画の画面でそうだと言わなくてもそう見えるのではないかという監督の意図がありました。そのため、彼らがホテルで暴れていたり、酒を飲んでいたりしても映画の為にそのままにしていたそうです。リヴァーは動物を殺さないベジタリアンで、タバコも酒もしないクリーンな生活が有名でしたが、後には、このときに酒やたばこを覚えたのではという説も。それがその後のキャリアの崩壊に繋がる起点となったかもと思わせるところがある作品だと語られました。

そして、リヴァーは次作の「モスキート・コースト」で、演技で違う人間になれることを知ります。この作品は彼の人生そのもののような作品で、役を自分自身のことの様に演じますが、演技をすることで麻薬をやったように自己喪失して別の人間に慣れることに気付いたのです。
この映画で彼は役作りについて、『役に入るためにその役自身に浸った生活をする必要がある。翌朝起きてすぐその役になることなんかできないから、周囲の影響を受けず、役になるためにその役と同じ生活をするのが役作りだ』とメソッド的なアプローチを語っています。
彼の演技については、最後の主演作と言われる「愛と呼ばれるもの」のピーター・ボグダノヴィッチ監督が交流を持った人のことを綴った本の中で、『最初、いま目の前に来た本人が、役を仕上げて入り込んでいるのか、元々そういう人なのかが分からなかった。』と言ったほど。
ただリヴァーの場合それが物凄く危険であるのは、演技のトレーニングをきちんと受けずに独自でやってきたということ。オン・オフのスイッチがわからず、実生活との切り分けができないのです。自分の私生活がどこまでか分からない混乱を否定する大人もいないまま、成長することに。ステージママでショービズ推進派の母に対し、父は反対派だったのですが、この時にはすでに後戻りできないような状況になっていたのでした。

その後何作かを経て出演したのが、健夫さんが人生のベスト10にも入るという「旅立ちの時」。この作品はシドニー・ルメット監督がリヴァーの為にと宛書した作品。彼のバックグラウンドを思い出させる要素が散りばめられています。シドニー・ルベットは演劇をやっていたひとでもあり、演劇的スタイルで撮影前に通しのリハーサルをしていました。これを習ったことにより、リヴァーはセリフが完ぺきに入っていなくても、そのリハーサルの記憶を思い出せば自然とセリフが出てくるような演技を初めてできたとこの作品のインタビューで言っています。

ところが、残念ながらその手法はこの作品限り。気付いたのに、後にその方法に至って行かなかったのが残念でもあり、彼はメソッド的な役作りによってどんどん疲弊してゆきます。
キアヌ・リーヴスの熱意によって実現した「マイ・プライベート・アイダホ」は男娼のお話。彼の役作りの方法では、役になりきらなければなりません。今となってはもうどこまでが本当かはわかりませんが、本人も街に立ち、監督の知り合いの男娼について実際に車に乗り込んで交渉を見て、やっぱりなし、と逃げたという逸話も。さらに作品中、ドラッグをやるシーンがあり、ここからドラッグにどっぷりはまってしまったのではないかという説も。この頃本人は反ドラッグの主張をずっとしていましたが、一方で実生活ではドラッグに侵されていて、自分の中で自己崩壊が始まっていたのではと言われています。この撮影後のインタビューでは、『どう見ても彼はドラッグをやっていて、役作りのレベルじゃない程ボロボロで、演技は称賛するけれど、本当にこのままのやり方で彼は良いのか』と彼を心配する優しい評論も残っています。

その後に何作かに出演しますが、「ダーク・ブラッド」が完成しないままに、リヴァー・フェニックスはドラッグによって93年10月31日に逝去。同じ日にはフェデリコ・フェリーニも亡くなっていますが、それがあまり報道されない程に、リヴァーの死は大きな出来事でした。今でも語り継がれ、映画の中の輝きが変わらないのは、家族をはじめ、残された人々がリヴァーについて一切語らず、彼のイメージを守り続けているからかもしれません。

リヴァーは23年間の間に、幾度も転機となりそうな出会いがありました。共通点が多く仲が良いキアヌ・リーヴス、彼をミュージシャンとしてデビューさせようとしたクリス・ブラックウェル、「スニーカーズ」で共演したシドニー・ポワチエ、ロバート・レッドフォード、ダン・エイクロイドなどなど、周りには彼を救い、受け止める手が沢山ありました。でも、その手を全部すり抜けて行ってしまったのです。
もうリヴァーの人生すべてが見えている今、逆算でストーリーを追うと、もう少しうまくできたのに、と思う悲しみは沢山あります。

「早逝した天才たちは往々にして伝説になるから、それはそれかもしれないけど、僕は生きてほしかった。」と中井さん。
人生は山あり谷ありで、確かに若いころに自分を追い詰めて大変な状況があったかもしれないけれど、生きていたら誰かが手を掴めたかもしれない。そしたら今、脂がのった良い役者になって、何かしら傑作をリヴァーが演じたり、夢の競演を果たしたりしたのではと思うから、映画ファンとしてはその可能性に想いを馳せざるを得ないと語りました。

でも、映画は永遠だからこそ、リヴァーには映画で会うことができます。今回の配信では、何があったかは知っていても、生まれた時から最後の時までを聞くと、また違った思いや感じ方が生まれました。ぜひこれを機会に彼の出演作を観直し、リヴァー・フェニックスという俳優がいたこと、そして彼の存在が他の俳優に繋がるということを知ってもらえれば嬉しいと語られました。

WOWOWではリヴァー・フェニックスの出演作、【リトル・ニキータ】をWOWOWメンバーズオンデマンドにて期間限定配信中!
パソコン、スマホ、タブレットなどから、お好きな時にご覧いただけます。

ぜひ今回のぷらすととあわせてお楽しみ下さい!

アーカイブ

2018年

2017年

2016年

2016年3月

2015年

2015年3月
2015年6月
2015年7月

ブログを購読する ブログを購読する

WOWOWぷらすと 公式Twitter

WOWOWぷらすと 公式Facebook

ぷらすと 公式Instagram

WOWOWは初月料金なしでお得!ご加入はこちら

▲ページTOPへ