ディスコミュージックを教えて!(2015/10/19配信)

2015/10/20

ディスコミュージックを教えて!_re.jpg

今回のテーマは『ディスコミュージックを教えて!』
西寺郷太さん、DJ OSSHYさん、吉岡正晴さん、東美樹さんでお送りしました!

この日初登場のOSSHYさんは80'sディスコムーブメントのパイオニア!そしておなじみ吉岡さんもゲストに迎えてのディスコ回!この二人が並んで、ディスコについて聞ける嬉しい機会です!

さらに今回はOSSHYさんが手がけるノンストップミックスCD『ディスコ・トレイン2』より、9曲をお届けしました!

◆ザッツ・ザ・ウェイ / KC &ザ・サンシャイン・バンド
◆ファンキン・フォー・ジャマイカ (1991 7"リミックス) / トム・ブラウン
◆ブレイクアウト / スウィング・アウト・シスター
◆トゥゲザー・フォーエヴァー / リック・アストリー
◆ラッキー・ラヴ / カイリー・ミノーグ
◆フレッシュ (マーク・ベリー・リミックス) / クール&ザ・ギャング
◆イン・マイ・ハウス / メリー・ジェーン・ガールズ
◆カリフォルニア・イヴニング / コン・ファンク・シャン
◆愛のディスコティック'88 (エクステンデッド・リミックス) / タバレス

番組はまずは、お二人のディスコとの出会いやご自身の経験などを踏まえながら、当時を振り返りました。
68年、当時の唯一で一番大きなディスコだったのが赤坂MUGEN。当初はまだディスコという呼称ではなく踊り場やダンスホール的なイメージでしたが、吉岡さんにとっては72年にMUGENに行ったのが初めてのディスコ。
73年にはディスコという言葉が一挙に広がり始め、赤坂のMUGENと六本木のエンバシーは当時メインだったソウルディスコのツートップへ。ソウル、R&Bをはじめ、黒人のファンクがベースになる曲がかかっていました。
そこから一気にディスコが増えるのが74年。アメリカではこの年をディスコ元年と呼び、ディスコが新しいダンス音楽をヒットさせるメディア媒体として注目された年。ディスコでヒット曲が生まれると、ラジオでかからなくても何万枚とシングル盤が売れるようになったのです。さらにこの年にはビルボードのディスコチャートも誕生!
アメリカの余波を受けて、日本でも六本木アフロレイキ、青山パルスビートなどが老舗店に加わり核となってディスコシーンを作り上げるようになりました。後に大きくなるサーファーディスコのような、ポップな曲もかかるディスコとして一つのプロトタイプとなった六本木メビウスもこの当時生まれたディスコです。

その後、78年の映画「サタデーナイトフィーバー」の大ヒットにより、日本全国端から端まで、大ディスコブームが訪れます。今までは遊び人やディスコ好きな人が訪れた場所だったのが、ディスコに来たことがなかった普通の学生やサラリーマンへも一斉に広がり一般的に。

OSSHYさんが初めてディスコを訪れたのは、そんな大ディスコブームが起こった後の81年。高校1年生の時で、まだその時は踊ろうというわけでも、DJをしたかったというわけでもなく、ただ先輩に連れられて遊びに行くように。その初めてのディスコで、店内の曲がノンストップで繋がっていることに相当な衝撃を受けたOSSHYさん。もともと中学時代に、クラスの仲間たちに自分の選曲でコンピレーションカセットを作って配ることで話題の人気者だったそうですが、ミキサーもなく、家庭で作るには限界があるもの。曲と曲の間をとにかく詰めたくて自分で研究されていたそうですが、2台のターンテーブルとミキサーがあるDJブースのシステムに驚愕!そこでDJに魅せられたOSSHYさんはその後、学校が終わった後に渋谷ラ・スカーラへ通うようになり、DJブース直行でずっと張り付いているという生活を毎日するように。流れている曲はやっぱりラジオではかからないディスコならではの曲が多く、知らない曲ばかり。だからといってDJは雲の上の人。この曲何ですか?と聞くこともできないので、持ち前の動体視力を活かし、目を凝らしてくるくる回っている盤に書かれた曲名をひたすらチェックしていたそうです。
「いつも来ているけれど、よっぽどDJになりたいのか」と声をかけてもらったのがそうして通い続けて約1か月後。そんなにやる気があるなら、ラ・スカーラではないけれどお隣のお店で見習いの募集が1枠あるよ、ということで紹介されたのが82年にデビューを果たす渋谷キャンディ・キャンディ。
見習いの仕事は、まず第一に先輩がかけている曲を1日中ノートにメモを取ること。それと店内の照明。そして先輩DJの様々なお世話をする雑用係。女の子を誘ってくるとかも当然の仕事だそうです。お話をされている様子からは相当大変そうな印象でしたが、やはり育てる意味があることと、教えてもらえたり、情報をもらえたりするのは見習いDJの醍醐味でもあります。

「サタデーナイトフィーバー」以降、かなり一般的になったディスコですが、アメリカでは79年7月に起こった大ムーブメント「ディスコ・サックス」をきっかけに少し下火へ。
ディスコが大ブームになり、ソウル、ロック、ポップスなど様々な全米ラジオ局のフォーマットの中でディスコのフォーマットが一気に増加。しかし、ゼロサムなので、ディスコラジオが増えると、ソウルやロックのDJが職を失ってしまいます。それで、シカゴのロックDJがディスコなんてクソくらえだと、みんなで家にあるディスコCDを球場にもってきて燃やそうという大キャンペーンをやったことが大きなインパクトを与えることになったのでした。
同時期、日本ではまだまだ盛り上がっていましたが、それまでソウル系+ポップが多かったところから、80年頃からはソウルディスコだけでなくロックなど幅広い音楽がかかるように。しかし、一般化で飽きられたことや巨大なものになりすぎたこともあり、ブームへの反発もあって80年代中盤から少し下火になっていきます。

そこから、ニーズに変化が起こるのが90年代。
1日の内に色んな音楽のジャンルを楽しめる百貨店的・幕の内弁当的だったのが80年代のディスコだったのに対し、個性重視の専門店ニーズが出てくるのが90年代で、それに対応したお店がクラブだと思うとOSSHYさん。
ディスコは全部ありのごった煮でしたが、90年代はソウルだけ、レゲエだけ、テクノだけ、ハウスだけ、といったニーズが爆発。
さらにDJの評価基準にも変化が。ディスコDJは選曲の良し悪しよりも、お客さんを躍らせることが基本。一方、クラブが専門店化する中で、俺の選曲の方がいい、センスが良い、というアイデンティティが表に出るような時代に変化したのです。ディスコDJはお客様ありきで、皆が喜び楽しんでなんぼなお客様サービス。もちろんディスコDJにもアイデンティティがあり、リクエストをただかけるのではなく、その曲をかけるまでの選曲やストーリーがあり、流れをどう作るかがDJとして腕の見せ所だと語られました。

近年では、ディスコリバイバル、80'sリバイバルと言われることも良くありますが、ディスコの現場では前から通っている常連さんはもちろん、新しいお客さんも増えて行っているそう。最近では50代のディスコリアル世代と、10代20代のお子さん世代の親子2世代で大変な盛り上がりもあるのだとか!
30代後半から40代前半はクラブ全盛期で抜けている世代だとも言われましたが、ディスコリアル世代も、クラブ世代も、子供世代も、ぜひみんなでディスコやディスコミュージックを楽しみましょう~!

WOWOWでは10/23(金)よる10:00~【オレたちの洋楽オールナイト生放送!】をお届け!
5回目となる今回は『ディスコからEDMまで!ダンスミュージック ベスト30』。
"オレたち"の青春時代を彩った、洋楽シーンをプレイバックします!
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そして、今回楽曲をお届けしたDJ OSSHYさんが手がけるノンストップミックスCD、「ディスコ・トレイン」シリーズですが、なんと、11/4(水)に第3弾となる「ディスコ・トレイン3」がリリース!これまでの2作は両方ともオリコンチャートトップ30入り。もし3作連続チャート入りしたら、あることを考えているとOSSHYさん!でもまだナイショです!とのことなので、リリースを楽しみ待ちしましょう~!
収録楽曲・詳細はコチラ

まだ話したかったことの10%くらい!!と OSSHYさん。みなさんもまだまだ全然話し足りない様子。幅が広いからこそお話は止まりません。次はもっと細かく時代を区切って掘り下げる回も行いたいですね!

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