ジョディ・フォスターを語る。(2015/10/27配信)

2015/10/29

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今回のテーマは『ジョディ・フォスターを語る。』
中井圭さん、松崎健夫さん、浅賀優美さんでお送りしました!

恒例となった語るシリーズ、今回はアカデミー賞主演女優賞に2度も輝いたことがあるジョディ・フォスター!
彼女の今に至るまでの人生を振り返りながら、数々の苦悩を乗り越えた彼女が、映画を通して伝えたいこととは何だったのかを掘り下げました!

まずは生い立ちからスタート。
ジョディは1962年11月生まれでもうすぐ53歳。本名はアリシア・クリスティーン・フォスター。ジョディは芸名です。ロサンゼルス生まれですが、ショービズとは全く関係のない家庭の4人兄弟の末っ子で、生まれた時に両親は既に離婚し、母親のもとで育ちました。
ジョディが芸能界に入るきっかけとなったのは兄のルシアス。ジョディより先に芸能活動をしていて、お金を稼ぐために子役を始めました。ジョディは兄がCMのオーディションに一緒について行って逆に抜擢。まだ2歳の時の事でしたが、そのCMが一躍全米で注目されることに。その後、ドラマの脇役なども経ながら、10歳の時に映画デビューを果たします。

この当時は子役から人気スターになる人が続々と出ていて、73年の「ペーパー・ムーン」ではテータム・オニールが最年少でアカデミー助演女優賞を受賞します。テータムはジョディの1歳下。これを受けてジョディも俄然やる気を出し、翌年にテレビ版が作られた際には見事テータムが演じた役を勝ち取ることに。しかし、テレビ版は13話で打ち切り。この原因はテータムとジョディのイメージに差があることでしたが、この経験からジョディは他人の当たり役を演じるのは良くないことに気付きます。

そこで、ステージママな母は他の子役との差別化を図るため、アート系の作品にジョディを売り込むようになります。その際、スコセッシの「アリスの恋」に出演したことで、その後76年の「タクシードライバー」で見事子役から脱皮して転換期へ。アカデミー賞助演女優賞候補にも選ばれます。

そんな上向きなように見えたジョディでしたが、その後77年以降は、80年まで約3年間。仕事が出来なくなります。その原因となったのが「フリーキー・フライデー」の撮影。ジェットスキーのシーンで怪我をして鼓膜が破れてしまい、仕事が出来ず落ち込む時期でもありました。

幼いころから早熟で理解力が抜群であり、フランス語もスペイン語も堪能というジョディですが、この後彼女は名門中の名門、イェール大学へ入学。学業を優先するために、仕事は学校休みのときだけするようになりました。

しかし、そこでさらなる困難が彼女を待ち受けていたのです。
彼女がイェール大へ入学したのが80年の9月。翌年の81年3月、当時の大統領、レーガンが狙撃されるという暗殺未遂事件が起こります。
この犯人が大統領を暗殺した動機が、「ジョディ・フォスターに俺の名前を覚えてほしかった」ということ。暗殺犯は「タクシードライバー」を見て、ジョディを守らなきゃと思ったそうです。そのことをきっかけにジョディのファンとなり、行動はどんどんエスカレート。文面がヘンなファンレターから始まり、イェール大の授業に潜り込んで受講科目を探し、寮で暮らしている部屋をも突き止めて扉の下から手紙を毎晩入れるなど、行き過ぎたストーキングが繰り返されるように。あまりのことに警備員がつくようになったことで近づけなくなり、その鬱憤から、ついにはストーキングにとどまらず狙撃を実行します。しかも、「カーニー」のパレードのシーンには、ピエロ役として出ていたというのです・・・!
いま聴くだけでも鳥肌が立つほど恐ろしいことなのに、ジョディの感じる恐怖は計り知れないほど。この出来事からしばらく表に出ることが出来なくなりますが、1年後にリハビリ的に学内演劇に出ることにします。しかしその時も客席に真似をしようとした男がいて、実行には至りませんでしたが、もしかして舞台上で撃ち殺されていたかもしれない可能性もありました。

この出来事からどんどん疎外され、女優としてもどうしても事件のイメージがついてしまうことに。結局、テレビドラマやフランス映画を経て、アメリカ映画では「ホテル・ニューハンプシャー」で復帰。その後、大きな転機となったのが「告発の行方」です。あまりに生々しすぎて、プロデューサーはジョディに合わないと考えていたそうですが、結果的にこの年のアカデミー賞で主演女優賞を受賞。ジョディは汚れ役をやったことで、世間の良くないイメージを自ら払拭し、人生の苦労も結果的に乗り越えたのです。

このことを始め、非常に意志が強い側面や、自分でどうにかしようという思いの強さを感じられるジョディ。当時は強い女性像が少しずつ出始めていたものの、その強さの質はちょっとマッチョな感じ。それに対し、「羊たちの沈黙」で彼女が演じたのは頭脳明晰な女性で、インテリジェンスでの強さを表したのです。
「リトルマン・テイト」の時には自身の制作会社、エッグピクチャーズを立ち上げ、主演と監督を兼任。さらに立て続けに映画製作や出演を果たし、「コンタクト」では、旅の主役はいつでも男だけれど、女性が人類の為に自らを捧げる旅をしたっていいではないかと旅の席を女性に譲る作品に出るなど、この時期は彼女が映画界でどう生きるかの意思表示が強く感じられます。

しかし、その後彼女の女優活動のノイズとなるスキャンダルが出始めます。
ジョディは子供を2人生むも、結婚せず、相手も誰だか公表していませんでした。この頃からまことしやかにレズビアンなのではと囁かれるようになり、あまり作品も当たらなくなります。00年代当時、まだ同性愛への偏見は少なくありませんでした。
その当時、ヒットはしていないけれど意味ありげな作品であると紹介されたのが「ブレイブ ワン」。
ちょっと変わったビジランテもの的な作品ですが、その中で主人公が闘う姿は、ストーカーへの怒りやレズビアンのゴシップと戦うこととも重なることから、これも彼女の人生の中の意思表示のひとつかもしれないと感じられます。

ジョディは07年にある女性と長く一緒に暮らしていることを告白。昨年は同性婚もしていますが、いずれにしても同性愛者であるとの明言や認めることはしていません。
健夫さんは、なぜ認めないのかということを考察。それは、彼女が本名ではなくジョディと名乗る理由に繋がっていました。

ジョディは生まれた段階で両親が離婚していてすごく貧乏な暮らしをしていましたが、そのときに助けてくれた人がいます。ジョーおばさんという、家族みんなが第3の親だと慕う人で、ジョーおばさんとその子供とジョディの家族の7人で生活をし、ジョーおばさんが家族の面倒も見てくれました。ジョディの両親の離婚原因は、父側も母側も浮気だと言っていますが、のちに子供たちは、母はジョーおばさんと付き合っていたのだと理解します。
そして、ジョディの祖母も苦労があった人で、妻子のいる人の子を身ごもって生まれたのがジョディの母。そうした複雑な家庭や阻害される人生を、母もジョディも観ているのです。
いまでこそ同性愛も市民権を得て、認める動きになっていますが、それが差別を受けていることをずっと見て来ているジョディ。母たちの姿を見て、社会がちゃんとそうなった時に言おうということなのではないかと健夫さんは考察しました。

そして、ジョディという芸名はジョーおばさんが由来。ジョーおばさんはジョージ・ドミンゲスという名前で、ジョージ・Dと言っていました。そこからジョディと名乗り、敬愛したおばさんの名前を芸名としたのです。ジョディが子役として大成したころ、母の金遣いの荒さにジョーおばさんは去ってしまいますが、それでもジョディの名前を使い続けていることに、彼女がレズビアンであることを公表しないことや社会への思いを背負った意思表示をくみ取ることができます。

そんなジョディの言葉の中でも、健夫さんがなるほどと感じたというのが「人生の全ての選択には理由がある。」という言葉。後付けかもしれないけれど、今まで出演した作品も、芸能も、楽しいことも、苦悩も、全てを背負い今なお現役で活躍する女優だと語られました。

健夫さんがぜひ見てもらいたいジョディの出演作は「羊たちの沈黙」「コンタクト」「タクシードライバー」「リトルマン・テイト」。

このうち、「羊たちの沈黙」「コンタクト」はWOWOWで放送!
≪ハリウッドスター ジョディ・フォスター≫と題し、11/13(金)よる6:15~蒸気を含む主演作6本を特集します!
ラインナップはコチラから

ぜひ、今回のぷらすととあわせてお楽しみ下さい!

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