『あの日のオルガン』8/12(水)よる9:00
山崎ナオコーラが映画をテーマに等身大でつづるエッセイ。第17回は、実話をもとに、子どもたちを連れて地方に集団疎開した"疎開保育園"で働く保母たちの奮闘をつづる 『あの日のオルガン』を観る。
文=山崎ナオコーラ
『あの日のオルガン』は疎開保育園を作った保母たちの仕事を描く。実話を元にしたフィクションだ。
太平洋戦争末期、東京への空襲が激しくなる中、保母たちが日本で初めて保育園を東京から離れた土地に疎開させる計画を練り、実行する。
主任保母の板倉楓(戸田恵梨香)が中心となり、新人保母の「みっちゃん先生」(大原櫻子)などと共に、埼玉の荒れ寺での疎開生活を始める。
職業意識の高さに目をみはる。
保育士という職業が保母という名前だった時代のことだ。現代でも、保育士の地位向上が進まないことが大問題になっているが、今以上に世間で理解がなかったのではないか。母親の延長線上にあるもの、専門職というよりも小さい子どもと遊んだり世話したりする雑務のように捉えられていたかもしれない。「母親代わり」という感覚が残っていた時代だと思われる。
だが、この映画を見れば、そんなものではないとはっきりわかる。仕事映画なのだ。保母はどんな仕事よりも仕事らしい仕事だ。
私は現在、4歳と0歳の子どもの育児中だが、育児と保育はまったく違う。他の家にいる複数の子どもを預かって、その命を守り、教育の責任を果たすのは、専門性のある職業人たちが、高い志を持って行うことで、やっと成り立つ。母親とはまったく別の勉強と志が必要になる。
私は、小学生が行う学童疎開は他のドラマや小説などで触れたことがあったが、未就学児が親元を離れて疎開する話には初めて触れた。疎開というのは小学生にとってもつらくさびしい状況だが、未就学児にはまた違った感じがある。排泄を始め、まだ身の回りのことをひとりでは十分にできない段階の子どもだ。親との分離も曖昧で、理解も不透明で、家族が離れて生活することに疑問も浮かんでくるかもしれない。
今の世の中でもまだ、「子どもは親と一緒にいることが幸せだ」という過剰な信仰を感じることがある。働く両親が増え、保育園の利用者は増えているが、「小さいうちから親と離すのはかわいそう」という圧力は世間に根強く残っている。
さらには、生活苦や虐待や子どもを愛せないことで悩んでいる親に対してまで、「子どもと一緒に暮らす道を選べ」というプレッシャーがあるようだ。
また、生活が苦しくなったときは思考が停止してしまうのかもしれないが、親が子どもを道連れにする無理心中事件がときどき起こる。親と子どもが別の人間だということがわからなくなり、「自分と一緒に死んだ方がこの子にとっても幸せだ」という考えが生まれてしまうのではないだろうか。
けれども、生まれ落ちた瞬間から、親と子は別の人間なのだ。子どもは強い。親と離れたって生きていける。
もちろん、親との別れによって子どもは傷つく。けれども、社会には職業倫理によって子どもを慈しむ人がいる。
疎開保育園となると、万が一の場合は、生と死に引き裂かれる可能性もある。親が疎開保育園に子どもを預けるということは、「自分がいなくてもこの子は立派に生きていける」と、子どもを、そして保母を、さらには社会を信じることなのだ。
その思いを受け止め、保母たちは奮闘する。
みっちゃん先生の甘えた性格、様々な失敗、その可愛らしさによって映画は救われている。大原櫻子の当たり役だと思われる。
ただ、やっぱり、この映画の柱は戸田恵梨香演じる楓だろう。
ひたすら「かっこいい上司」なのだ。
「怒りの乙女」というあだ名を持つ楓は、田中直樹演じる所長に対しても、みっちゃん先生たち部下に対しても、そして戦争に対しても、いつも怒っている。正しい姿勢できびきび動き回り、低く大きな声でシンプルな発言をする。
こういったキャラクターを描く場合は、どこかしらで甘さを見せたり、みっちゃん先生との関係を感動的にしたりしてしまいそうなものだ。あるいは、普段は怖くても小さい子どもと話すときは猫撫で声を出すだとか、いわゆる「保母」らしい可愛い顔をするだとかといったシーンを織り交ぜてしまいそうだ。しかし、戸田恵梨香はそんなことをまったくせず、低い声で終始喋り、ひたすら理想と責任に燃えているのだ。
©2018「あの日のオルガン」製作委員会
私が胸がキュンとしたのは、園児のひとり、けんちゃんの両親が銀行通帳を楓に預けたがるシーンだ。他に道が見出せない親の気持ちも、預かることができない楓の気持ちも、痛いほどにわかる。そして、その後のけんちゃん......。
高い理想と重い責任をどんなに胸に抱いていても、どうにもならない悲しいことが次々と起こる。
すべてを放り出したくなる人間味も見せつつ、職業人として怒り続けることはやめない。
戸田恵梨香は稀有な俳優だ。凜としていて、かっこいい。
終戦を迎えたあとの子どもたちがどうなるのか、行く末が気になる。困難が待ち受けているのではないか、とも心配になる。だけれども、生きているのだ。
私は、「親が子どもに伝えられるのは、生を絶対的に善とすること」だと聞いたことがある。生に勝るものはない。
©2018「あの日のオルガン」製作委員会
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山崎ナオコーラ
作家。
1978年生まれ。『趣味で腹いっぱい』『リボンの男』、エッセイ『文豪お墓まいり記』『ブスの自信の持ち方』など。
目標は「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」。
[放送情報]
あの日のオルガン
WOWOWシネマ 8/12(水)よる9:00
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