2018/07/04 up

神山健治監督が「ひるね姫」の制作秘話を語る

「ひるね姫~知らないワタシの物語~」7/8(日)午後0:00ほか

東日本大震災後、初めて、次の作品の具体的イメージが持てなかった

 前作の『009 RE:CYBORG』を作っている時に東日本大震災があり、映画完成後に東北まで映画を持って行ったんですけども、まだ震災の被害が残っている中で上映させていただきました。その時、「これからアニメーションはどういうものを作ったら喜んでもらえるのか」と考えたんです。そもそも喜んでもらえるのが不思議というか、逆に映画を持って行って迷惑だったんじゃないかと思っていたところ、「こんな大変な時期に映画を持ってきてくれて、ありがとうございます」と言っていただき、反対にすごく恐縮したんです。僕らエンターテインメントに携わっている人間が、これからどういう作品を作っていけばいいんだろうと考えたのが、この『ひるね姫』を作るきっかけだったのかなと思っています。
 あとは僕が作品を作るときにいつも念頭に置いているのが、科学技術やテクノロジーというものが、未来に明るいものであるべきだということ。新しいテクノロジーというとネガティブに捉えられがちなんですけども、そうではなくて未来を作っていくものであってほしい。そういう希望はいつも、この作品に関わらず持っているので、そこを震災後はどうやって作品に落とし込んでいこうか、そういう思いでしたね。
 そこから、どんな作品を作ったらいいか。自分が作品を作るうえで具体的なイメージをスタート段階でもてなかったのが、初めての経験でした。どういうことかというと、アニメーションや映画って、絵空事で楽しんでもらうものだと思うんですよ。でも、現実がすごく厳しいなかで果たして物語の中だけが明るかったり、現実では解決できてないことが物語の中だけで解決するような、そういった作品ではだめなんじゃないかなと。最初に企画した段階ではもっと単純なファンタジー作品だったんですけども、安易なファンタジー世界で少年少女が冒険をするというだけでは、この時代、あの震災があったあとに、見る人に届かないんじゃないか、そういう思いがあって。もっと現実を背景にしたファンタジーを作れないかということで、ちょっと方向性の違うものを考え始めたんです。そういうなかで、僕は今までファンタジーやSF作品を作るなかで、必ず"いま"ということをすごく意識していたんですけど、『ひるね姫』を作っているときほど"いま"を意識したことはなかった。ただ、あのときのタイミングの"いま"というのは、企画をしていた2013年ぐらいですかね。やっぱり現実が暗いというか重たい状況だったので、それを念頭に置けば置くほど、エンターテインメントにしていくことの難しさにぶつかっていた。そのなかで、自分が思い描く空想みたいなものが現実を切り開いていくんだということが、そもそもアニメーションや映画を作るということなのだから、そこをもう一度原点として、そのまま映画の設定として落とし込もうというところから発想したのが、この『ひるね姫』の"現実と夢の世界を行き来する"という設定だったと思います。

新しい技術とスタジオを使い、全工程で試行錯誤

 今回はデジタル技術で作品を作ろうと考え、作画を紙で描くのではなくて、タブレットで作画をしていくとか、新しい技術を新しいスタジオに投入して、試行錯誤の連続だったんですよ。映画はいつもワンオフなので、今までどおり作画で作ったとしても大変なんですけど、そういうオリジナル映画のアニメーションを新しいスタジオで新しい技術を使いながら作るのは、すべての工程が初めての体験で、今まで僕が作ってきたキャリアの中でも、積み上げてきたスキル、経験値みたいなもので作るというよりは、どの工程も初めて尽くしなんですよ。慣れている工程ですら。映画を撮っているのと同時に、製作のフローチャートから問題解決まで同時に考えていたようなところがあって、よくあの期間で作ったなというかね(笑)。映画を撮っている感覚というか、ひたすら忙しくプロジェクトを回してたなと、それがいま振り返ると思いだされます。
 アニメーションの制作会社って50年以上、まったく同じスタイルで作ってきて、どのアニメスタジオでもほぼ同じかたちで作ってる。だからこそ、いろんな監督がいろんなスタジオに移ったりして、スタジオシステムさえ分かっていれば映画が撮れるというところがアニメーション業界のいいところではあったんです。それをひとたびタブレットで作画をすることになると、まずデジタルデータの管理、これITの会社とかからすると笑われちゃうと思うんですけど、共有するデータがサーバーにあるじゃないですか。それを管理するのを、日付などで自動的に更新されるシステムを作れないから、ずっとアップデートしたデータがたまっていったり、そもそもどれが最新のデータなのか、次のスタッフにそれを渡すと、どっちを直せばいいのか、それが本当にこっちで正しいだろうと思って作業してたら、作業者が別のデータを直していて、とかね。管理からちゃんとできなかった(笑)。なかなか新しいことをしようとすると、アニメのスタジオはそういうところからつまづくんだなと。笑い事じゃ無いんですけど笑うしかない。違う人が上書きしちゃうことなんて紙なら起きないんですけど、仕方がないからもう、いわゆるカット袋という、アニメの作画、動画を紙で描いたら、その紙を入れておく袋があってですね。その袋が回ってきたら次の作業者が作業するというシステムで、これシンプルで分かりやすいんですよね。それが自分の手元にない人は作業しないから。でもデジタルデータだと、「これが私が作業するやつだったかな」と、違うやつに描いちゃったりとかね。そういうミスが次々起きたんだけど。もう全然デジタル化してない(笑)。そんなことも起きてましたよね。
 演出上のことをお話しすると、アニメーションって描いたものを撮影してるわけですから、本来は映画でいう照明みたいなものはないわけですけど、描いてある絵の世界に照明を意図的に当てるということは、意識してやった部分です。TVを作ってるときは、あまりそういうことを凝ってられないので。みなさん、アニメのキャラクターって影が7:3か8:2ぐらいで、記号的に入っているものだと、なんとなく認識されてると思います。でも実写だと、順光で女優さんに光を当てて撮るのか、バックライトで撮るのかとかで、画の作り方っていうのが変わる。そういうことを演出的には意識してやりました。現実と夢の世界を行き来する設定なので、現実の方には実写で撮っているように、照明があるように撮影することで、「こっちは現実の世界なのね」とわかってもらう。夢の世界の方は従来のアニメのような、照明のないままで撮ってるというか。どっちの世界も"描かれた絵"で、キャラクターも同じなので、当初はもっと物語世界を絵本調にしたらどうかというアイデアがあったんですけど、この物語の夢の世界と現実の世界というのは、基本的には一緒で、同じ人間が出てくる。だからあまり絵柄を変えてしまうと、"自分"がそっちの世界に行っているんだということを同じ絵で表現することができない。キャラクターはそのままで世界だけを変えるように意識していました。見る人がどれだけその辺に気が付いてくれるかはわかりませんけど。潜在的にそういうのを感じてくれればいいかなと思って、こだわってやりました。

夢の世界と現実の世界、設定はいくら書いても終わらなかった

 本来一本の映画だと、どっちかひとつだと思うんです。夢の世界か、現実の世界か。だから設定の量だけでいくと、2本分の映画がある感じになってしまった。夢の世界の設定をいくら描いても終わらないし、現実の世界もいくら描いても終わらない。カット数は1本の映画分だけど、別の世界を二つ設定したことで、すべて2倍設定してるというかね、そこは随分大変なアプローチをしてしまったなと、やってみてから気が付きました。特にいま、アニメーターの方たちも、現実にあるものを描くことのほうが多いんじゃないかな。厳密にはわかりませんけど。だから僕は現実を舞台にアニメを作ることはよくしていたんです、戦力的に考えて。僕らの前の世代は、どっちかというと"ないもの"を描いていた。現実にあるものをそのまま描くのはめんどくさいし、つまらないし。ウソばかりばれるし、大変だよという考えだった。いまはおそらく、あるものばかりを描いてるうちに、ファンタジー世界のほうが苦手になってるというかね。今回集まっていただいたスタッフの比率もそうだったので、ファンタジー世界のほうがさらに大変でしたね。現実の、写真を見ながら瓦屋根が続いてる建物とかは延々描いてるんですけど、そうではない夢の世界のほうとかはどうしてもぞんざいになっちゃう。見たことないものというのは、描けないんだなと。改めて、いまファンタジー作品を作る難しさというものは感じました。
 海外からは日本のアニメの特徴として、手で描くアニメーションを好まれる傾向が強いとは思うんですね。もちろん、それは日本独特のアニメーション文化としてできあがってきたから、ほかの国ではできないからこそ良い部分だと思うので、残していきたいと思いつつ...。なかなか、さっきも言ったように、見たことないものは描けないとか、大勢のスタッフで同じものを描かなければならないことが、いまの時代に合わなくなってきている部分があるのかな。みんな同じ絵を描けるわけじゃないですからね。かといって昔のディズニーみたいに、キャラクターシステムとして、ひとりのアニメーターがひとりのキャラクターを担当するのも日本のスタイルには合わない。作画のいいところと、ひとりのアニメーターが上手になっていくため、練度を上げていくために数年かかるというのは、いまの労働環境にも合わないとか、そういうところをクリアしていくために、3DCGというのが突破口になってくれればいいと思っています。僕は単純にアニメーターというだけではなく、アニメーションという手法で映画を撮りたいので、場合によっては手で描かなくてもいいというか、そのときに日本のアニメーションのいい部分であるキャラクターの魅力であったりとか、手で動かすという大変な作業をしてるからこそ、すごいと思ってもらえるので、どちらも残しながら、いまの労働条件に合ったアニメーションの作り方も同時に見つけていかなければいけないのかな。そういう悩みが、両方を作ってみて出てきました。

ココネは最初の脚本では小学生にしていた

 現実の世界と物語の世界を行き来する設定なので、現実世界の方は実在する町を舞台にするというのはこだわった部分で、それを東京にするのか、架空の町にするのかで、リアリティみたいなものが変わってくるので、どこにするかは作画に入る前に考えました。本当にたまたまですけど、僕は関東の出身なので、あまり行ったことのない場所でロケーションを探してみようかと。瀬戸内海のほうはあまり行ったことがなかったので、そこを仕事が空いてるタイミングで旅行したときに、すごくいいところだなと思って。倉敷というか、下津井のあたりですよね。その辺のロケーションというのが目に留まって、海もあって、瀬戸大橋のたもとの町なんでね、古い町並みと近代的な橋のコントラストが面白くて、テクノロジーの新旧みたいなものの対立構造とも、もしかしたら合っているかもしれないと、そこを舞台にしようと思ったんです。
(主人公の)ココネは、最初の脚本のときは小学生からスタートして、だんだん年齢が上がっていって、中学生...でも無理か、やっぱ高校生かなというふうに、物語の重さというかね、それを支えられる年齢は何歳だろうということで、最終的に高校生になりました。あとは中学生という年齢層を、映画を観る人たちがあまり見たくないらしいんですよね。自分で振り返ってみてもそうですけど、多感な時期とか思春期って、一見映画になりやすそうで、いちばん痛い時期でもあって、それをもう一回見せられたくないっていうのかな。それで、自分の娘に作品を見せることも自分のなかでテーマにしていたので、そうすると、ちょっと上の方が見やすいんじゃないかとか、わりと試行錯誤してあのキャラクターになったというところがありますね。
 主題歌「デイ・ドリーム・ビリーバー」は脚本を書いてた時に、表の主人公はココネなんですけど、お父さんとお母さんの世代のお話でもあったので、なんとなく頭に浮かんでたんですよ。音楽聴きながら脚本って書けないんですけど、書きながらその曲が流れてきたのでね、もし使える物ならということで。
 志島自動車の標語「心根ひとつで空も飛べるはず」というのは、その言葉自体が多分最初にあったんじゃないかな。まあ、思い込めばなんでもできるよみたいなことなんですけど。それを取っ掛かりに作品を作り始めたみたいなところがあって。途中ね、その言葉はいらないかもというときもあったんですけど、最終的には志島自動車の社訓という形で残ったと。本当に、何を作ればいいんだ、これから日本はどうなっちゃうの、アニメーションとか作っている場合なのか、というときに僕がふと口にした言葉だったと思います。
 みなさんお忙しい方たちだったので、なかなか同時にアフレコすることができなくて、キャラクターごとにという感じでした。高畑さんと満島さんにまず通しで大体やっていただいて、お二人が一番大変だったとは思うんですけど、「掛け合う感じがないと、どのぐらいの気持ちを乗せればいいのかわからない」とおっしゃられていました。ただね、アフレコをいままで120本くらい録っている僕を信じてもらうしかないので、「大丈夫なんで信じてください」「このくらいのトーンで話しといてもらえればちゃんと掛け合いになります」とお伝えしました。もちろん、僕も頭の中でちゃんとイメージを作っていなければならないので、役者さん以上に自分の中にセリフを入れておく作業でしたけど、それにちゃんと応えてくださって、素晴らしい自然な演技になったと思います。高畑さんなんかは方言にも気を遣いながらでね。方言はさすがに僕も、自分の出身地ではないので監修の方を入れたりして。岡山弁は狭い地域で少しずつ違うらしく、ちょっと西に行くだけで変わったり、一見関西弁っぽいのに語尾のイントネーションがまったく関西弁とは違う。それを混ざらないようにするとか、二重三重にみなさん大変だったんじゃないかと思います。最終的には素晴らしい、自然な芝居をみなさん、心がけてくださって、とてもいいものになったと思います。

僕らの世代にも、若い世代にも、気付くものがあると嬉しい

――娘さんのお話がありましたけども、モモタロー世代というのは監督ご自身を投影されてたりするんでしょうか。ここね世代とモモタロー世代に見てほしいというようなインタビューをお見かけました。
「僕らの世代はちょうど、日本の自動車産業がピークを迎えていた時で、自分たちが車に興味をもって、自分でも買って乗りたいとか改造したいとか、そういう世代ですからね。でもいまちょっと日本の自動車産業自体が元気がないんじゃないでしょうか。海外だと日本車を追い抜くぐらい、どんどんいい車が出ているし、テクノロジー的にも新しい電気自動車にしていこうという流れがある。そういうところで、一時は頂点を極めた感覚があった日本の自動車産業がどうなっていくんだろうという思いもあったので、「もう一度頑張れ」という思いもあったし、知らない人たちには「日本の車は魅力的なんだ」と知ってほしいとか。うちの娘だとバブルも知らないし、日本はなんとなく世界から遅れて来ているという感覚しか多分ないなかで、何かのきっかけで、昔がこうだったから今はこうなんだということを知ってくれたらいいというか。あとは、もう大人になっちゃったからあまり頑張らなくていいかと思ってる人たちにも、「もうひと頑張りしてみようか、いい時代もあったし」という気持ちを思い出してもらいたくもあった。だから、スタート時、震災後の日本がどこにいけばいいのかがまったく見えない、暗中模索のなか企画を始め、少しずつ見えてくるなかで、じゃあ何をテーマにしたらいいだろうというときに、いつも自分はテクノロジーに寄り添って作品を作っていたことを思いだしたので、じゃあ今回は自動車をもう一度応援しようと。だから、僕らの世代もそうですし、それを知らない中学生ぐらいの人たちにも、そういうことがあったんだと気付いてもらえればいいなと、そういう思いですね。

最近見た映画で素晴らしかったのは『レディ・プレイヤー1』

「好きな映画」「影響を受けた映画」というのは難しい質問ですよね。好きな作品は山ほどある。好きな映画も、その日の体調や気圧によっても変わるくらい、たくさんありますからね(笑)。
 先日、スティーヴン・スピルバーグ監督が13年ぶりに来日して、縁あって『レディ・プレイヤー1』のレッド・カーペットに参加させてもらい、初めてお会いすることができた。『レディ・プレイヤー1』もそのとき一緒に見せていただいて、スピルバーグ監督の絶対的な映画の型というかスタイルというものを感じました。時代によってははまらなかった時代もあるんだろうと思うんですよ。80年代からずっと見ているとね、80年代によかったことって、意外と90年代から00年代では否定されるようなこともあっただろうし。でも型を変えないでアップデートし続けてきたからこそ、今回の『レディ・プレイヤー1』はまさに、監督が作りたかった、生理的にもいちばん好きな形ですべてガジェットがはまっていくというか、そういう映画になっていた。作り方や使うテクノロジー、技術というのはどんどん変わっているんだけど、それを全肯定もせず、全否定もせず、素晴らしい映画が出来上がっていた。映画の中に用意されるガジェットが、どうしてもはまらないときってあるんですよ。今まではこれを正義と描いていたけど、今の時代だとなんか笑われちゃうとか喜ばれないとか、そういう経験を繰り返してきただろうと思うんです。今回それが素晴らしくはまってる。うわさでは来日しないんじゃないか、「もう日本はおれのことなんか忘れてるだろう」というぐらいだったらしいんですけど、お会いしたとき、お顔が自信と喜びに満ちあふれていたんで、今回の作品には手ごたえを感じているんだろうなと思いました。映画自体、本当に素晴らしかった。いま挙げるとすると、『レディ・プレイヤー1』ですね。

[放送情報]

ひるね姫~知らないワタシの物語~
WOWOWシネマ 7/8(日)午後0:00ほか

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