『記憶にございません!』7/18(土)よる8:00他
山崎ナオコーラが映画をテーマに等身大でつづるエッセイ。第16回は、三谷幸喜監督が中井貴一ら豪華キャストを迎え、突然記憶喪失に陥った"史上最悪の総理大臣"と、その事実を隠そうとする秘書たちの悪戦苦闘を描く政界コメディ『記憶にございません!』を観る。
文=山崎ナオコーラ
小学校の先生が出てきたあたりから、わくわくする感じが止まらなくなる。
「記憶をなくした総理大臣にしかできないことがあると思うんです」
という、小池栄子演じる事務秘書官・番場のぞみの言葉で扉が開く。
そう、マイナスだと思い込んだ出来事も、よく考えてみたら、仕事をやり直せる良いきっかけかもしれない。自分次第で、プラスの出来事に変えられる可能性が潜んでいる。
自分の仕事にも、番場が放ったセリフのような言葉が必要だ。
もしも、「この状況でしかできない仕事があると思うんです」と、自分の心の中の番場が言ってくれたら、明日から私も、新しい仕事を始められるかもしれない。
『記憶にございません!』は、政治家の口からよく出るあの「記憶にございません」というセリフから想起されたと思われる、政治が舞台のコメディ映画だ。
ただ、「政治が舞台」「コメディ映画」という枠よりも、「お仕事映画」「ヒューマンドラマ」という気持ちで臨んだ方が面白く観られるのではないかと思う。
「人生はやり直せる」「嫌われたままでも良い仕事ができる」といった、多くの人が共感できる、普遍的なテーマが流れる。笑えるシーンは確かにあるが、それよりも感動を求めた方が返ってくるものがある。
今を生きる多くの大人が、自分がやっている仕事に「このままでいいのか?」という思いを抱えながら生きているのではないだろうか。
「こんなはずじゃなかった」「子供の頃に思い描いていた大人になれていない」。そう思いながら日々を過ごしている。
どこかでやり直したらいいのかもしれないが、どこでやり直したらいいのかわからない。なんとなく、昨日の続きを今日も生きてしまう。
職場の人間関係も、家での家族関係も、ちょっとした失敗、ほんの少しの手抜きから、ずるずると駄目になっていく。嫌われ始めたら、「もういいや、どうせ自分は嫌なやつなんだ」と、適当に生き始めてしまう。ゼロからだったら、良い関係が築けそうなのに、昨日の続きだと、嫌われ役しか演じられない。
私自身もそう感じながら毎日を生きている。「ああ、メールを返し忘れたから、もうこの人からは嫌われているだろうな。もうこの人とは良い関係を築けなくても仕方がない。新しい関係を築ける人が現れるまで待つしかない」「家族から悪役と思われているなら、今後も悪役を演じるしかないや。明日から違う顔なんてできるわけがない。家族を交換するのは面倒だから、もう人生はこんなものだとあきらめてしまおう」。そんなことを考えていて、まるで雪だるまのように、ごろごろ転がりながら嫌な奴になることに向かって膨らんでいっている。
中井貴一演じる黒田啓介は、史上最低の支持率を叩き出した悪徳政治家だ。金に汚く、セクハラ三昧で、感じも悪い。「記憶にございません」というセリフを、実に感じ悪く吐いている。そんな黒田が、ある日、頭に石をぶつけられて、本当に記憶をなくす。
記憶喪失であることを隠しながら、政務を行う。小池栄子演じる事務秘書官・番場、ディーン・フジオカ演じる首相秘書官・井坂に支えられているうちに、記憶喪失をポジティブに捉え、初心を思い出す。
小池栄子が素晴らしい俳優だということはすでに知れ渡っているので、目新しさはない。監督の期待にきちんと応えている、という印象だ。
©2019フジテレビ 東宝
「記憶をなくした総理大臣にしかできないことがあると思うんです」
このセリフですべてが始まる。
黒田は、番場のこのセリフを素直に受け止める。そして、政治家としてやり直すのだ。
小学校の先生に連絡し、政治を学び直す。
私は、黒田に大いに共感した。
作家として、インターネットでバッシングばかりなのも、まったく評価されないのも、どうでもいいことだ。仕事の場があるだけでありがたい。自分のことを嫌っている人にも、評価していない人にも、素敵な読書時間を提供する、あるいは、文学シーンを盛り上げる一助になる、それだけで良いのだ。仕事相手や読者に好かれる必要なんてない。原点に帰って学び直したっていい。国語の教科書を読み直したくなってきた。
家族にだって、好かれる必要はない。嫌われたままで、育児を行い、家事を済ませ、家計を支えれば良いのだ。
嫌われている政治家と純粋な中年男とを同一人物に見せる中井貴一はさすがだ。人間は、こんなものなんだな。良い人になりきる必要も、悪い人になりきる必要もない。複雑なまま生きていけばいい。
人間はどんな風にだって生きられる。失敗してもやり直せる。悪人でも善人でもどっちでもいい。人からの評価はどうでもいい。やりたい仕事をやればいい。
自分も明日から変われるかもしれない。
そんな明るい気持ちにさせてくれる映画だった。
私も、作家デビューをする前の気持ちを思い出したい。
これまでの作家活動は全部忘れて、今、この瞬間から、やり直そうかな。
©2019フジテレビ 東宝
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山崎ナオコーラ
作家。
1978年生まれ。『趣味で腹いっぱい』『リボンの男』、エッセイ『文豪お墓まいり記』『ブスの自信の持ち方』など。
目標は「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」。
[放送情報]
記憶にございません!
WOWOWシネマ 7/18(土)よる8:00
WOWOWプライム 7/19日午前10:15
WOWOWプライム 7/21(火)よる7:15
WOWOWシネマ 7/26(日)よる6:50
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