2019/06/28 up

第4回『恋におちたシェイクスピア』

「恋におちたシェイクスピア」7/22(月) 深夜1:30

 山崎ナオコーラが映画をテーマに等身大でつづるエッセイ。第4回は文豪シェイクスピアの若き日の姿を虚実を織り交ぜながら描いた、爽やかな感動に満ちたラブロマンス『恋におちたシェイクスピア』を観る。

文=山崎ナオコーラ

 『恋におちたシェイクスピア』は、若き日のウィリアム・シェイクスピアが「ロミオとジュリエット」を完成させていく過程を描いた映画だ。
 グウィネス・パルトロウ演じるヴァイオラと、ジョゼフ・ファインズ演じるシェイクスピアが実際に恋愛をして、そのことが「ロミオとジュリエット」という作品に反映されていく。

 観ていると、「ロミオとジュリエット」のセリフはもちろん、それ以外のシェイクスピアの作品からもセリフが引用されていたので、シェイクスピアを知りたいという人への、お勉強的な楽しみ方の提供でもあるんだろうな、というのを思った。シェイクスピアの作品や研究などをきっちり調べ上げて、巧みに脚本を構成したことがうかがえる。

山崎ナオコーラさんの他のエッセイはこちら>

 それから、衣装が豪華絢爛だったり、街並みの雰囲気の出し方がよくできていたり、書き物をしているシェイクスピアの手が真っ黒に染まっていたり、書き直すときに砂のようなものを紙にかけて文字を消したり(修正テープなんてものはもちろんないからだ)、といったことがあって、歴史の下調べも入念に行って世界観を作り上げたことが伝わってくる。

 とにかく、エンターテインメント作品として、完成度の高い映画だ。

 私はこういう、いわゆる「エンターテインメント」という感じの映画、金がかかっている映画、腕のある俳優陣が続々出てくる映画を、あんまり観てこなかったものだから、最初は真面目に観過ぎて戸惑ってしまい、シェイクスピアがやたら活動的であっち行ったりこっち行ったりしていることに戸惑って、「書き手がこんなにアクティブなわけがない。自分の作品のことをぺらぺらしゃべるわけがない」といったことを思ってしまった。

detail_190628_photo02.jpg© 1998 Miramax Film Corp.. & Universal City Studios Production, Inc.

 というのは、私自身が作家で、文章を書くことを生業にしており、執筆中というのは地味な生活で、頭の中だけであたふたしており、パートナーにも作品の内容を相談することはまずないからだ。また、シェイクスピアが詩的な言葉を日常でもしゃべっているのが不自然にも思えた。こんなに作品と生活が地続きなわけがない、と思った。

 でも、そういえば、作家の仕事は地味だから、「情熱大陸」のようなドキュメント番組にしにくい、という話を聞いたことがあった。ただ机に向かっている人の映像なんて誰も観たくない。しゃべったり悩んだり人と関わったりしていないと、面白い映像にならない。リアルを求めたら、作家の話が映像になんてならなくなる。それは困る。作家の仕事にもっと世間のみんなから興味を持ってもらいたい。見た目は地味な活動でも、頭の中はいろいろ起こっているんだ、と伝えたい。

 だから、作家の仕事を映像化するときは、リアルを求めるのではなく、「頭の中が外に出ている感じ」を積極的に作っていかなければいけないのだ。そう気が付いて、「これでいいのだ」と分かってきた。それから、「これはエンターテインメントなんだ」というのにも心付いた。観ている側が、それぞれ自分なりの楽しみ方を見つけ、心を躍らせたり、何かを得たり、楽しい時間を過ごせれば、成功なのだ。

 シェイクスピアの知識、脚本の構成、衣装、歴史......、見どころはいろいろある。

 もうひとつ、大きな見どころとしては、「ああ、グウィネス・パルトロウって、昔はかわいかったんだなあ」ということがあるだろう。最近のグウィネス・パルトロウしか私は知らなかったのだが、若い時はこんな感じだったのか、と驚いた。豊かなブロンドをかわいらしく結って体をコルセットで締め上げているところも、男装して髭を付けながら動き回るところも、キュートだ。

 そう、お嬢様であるヒロインが男装して男社会の中で俳優として働く、ということがこの物語のキモになっている。この頃のハリウッド映画はフェミニズム・ブームで、大抵の映画で、かっこいいヒロインを描いたり、ジェンダーに関して慎重になったり、多様性を肯定するために「白人」「男性」をメインにしないように人物設定を行ったりしている。『恋におちたシェイクスピア』は20年前の映画なのでそこまで徹底していないのだが、女性性への配慮がちょっと垣間見える。

 特に、ジュディ・デンチ演じるエリザベス女王の風格、男性たちの中でリーダーシップを長年取ってきたことの苦労やプライドを感じさせるシーンが随所にあって、この縁取りが映画を一段高めている。

 恋愛映画だが、芝居を作り上げるという仕事をカップルで成功させるストーリー展開だ。そのため、2人が添い遂げるかどうかがあまり気にならない。結婚だとか破談だとかがどうでもいい。仕事を一緒にして、力を合わせて成功させたのなら、それだけでいいじゃないか、という感じがする。ベッド・シーン以上に、脚本家と主演俳優として語り合うシーンはロマンティックだ。「ロミオとジュリエット」がいい芝居になったのなら、それ以外はすべてくだらないことだ。一瞬でも仕事の恍惚感を共有できたのなら、ハッピーエンドだよな、と思った。

detail_190628_photo03.jpg© 1998 Miramax Film Corp.. & Universal City Studios Production, Inc.

「映画マニアは、あきらめました!」の過去記事はこちらから
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  • 山崎ナオコーラ
    作家。
    1978年生まれ。2004年にデビュー。
    著書に、小説「趣味で腹いっぱい」、エッセイ「文豪お墓まいり記」など。
    目標は「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」。


[放送情報]

恋におちたシェイクスピア
WOWOWシネマ 7/22(月) 深夜1:30


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