「バスキア、10代最後のとき」9/9(月)よる7:15
山崎ナオコーラが映画をテーマに等身大でつづるエッセイ。第6回は1980年代のニューヨークで活躍しながら27歳で早世した、若き天才アーティスト、ジャン=ミシェル・バスキアの伝記ドキュメンタリー『バスキア、10代最後のとき』を観る。
文=山崎ナオコーラ
ドキュメンタリー映画『バスキア、10代最後のとき』は、ジャン=ミシェル・バスキアがまだ有名になる前、10代の終わりを過ごしたニューヨークのアート・シーンを、当時の友人や関係者に対してインタビューした映像をつなぐことで浮き上がらせた作品だ。若いバスキアは、宿なしで過ごし、いろいろな人と交流してさまざまなジャンルに関わっていった。それが鮮やかに描かれる。
17歳の頃から、地下鉄をペインティングし、街角の壁にも絵や文字を描いた。学校を退学し、家出もして、居場所をなくしたバスキアにとって、世界のすべてがキャンバスだった。ただ、勝手に描く行為はもちろんモラルに反するわけで、こっそりと素早く描く。バスキアは、「その急いで描く良さ」も大事にする。絵の具がたらりとこぼれるのも作品とするし、子供っぽい図柄も平気で描く。
友人たちの家を泊まり歩いていたので、当時のバスキアを知る人はかなり多い。語られる人物像はとてもキュートだ。そして、時折差し挟まれるバスキア本人の写真は、顔立ちがかわいらしく、表情はとぼけていて、体型がスラッとしていて、髪形は攻めていて、服も個性的で、大物アーティストになりそうな雰囲気ががんがん出ている。
これまで、私は、「作品だけを見るべき」という思いを抱いていて、アーティストの人柄や見た目を視野に入れるのは芸術鑑賞者として好ましい態度ではない、と考えてきたのだが、この映画を観て、「バスキアの場合は、自分自身も、住む街も、周囲の人との交流も、すべてアートの中にあるものだったんだな」と思った。
バスキアは、作品と自分を切り離さない。「自分たちのやっていることはすべてアートだ」と自信を持っていて、美術と他ジャンルの間に線を引かない。言葉も音楽もファッションもアートだ。
©2017 Hells Kitten Productions, LLC. All rights reserved. LICENSED by The Match Factory 2018 ALL RIGHTS RESERVED Licensed to TAMT Co., Ltd. for Japan
ガールフレンドと部屋に住むようになると、バスキアは毎日、壁だとか冷蔵庫だとかに絵や言葉を描く。詩も書く。
ジャンルを超えて交流し、組みたい人と組んで、新しい活動を始める。
「SAMO」というグラフィティアートのユニットを組み、路上で活動した。
「GRAY」というバンドを組んで、クラリネットを吹いた。
服にペイントをし、「マンメイド」というブランドも作った。
驚いたのは、「有名になりたい」と公言していたことだ。芸術家というものは、世間に対して野心を抱いたり、有名になりたいと言ったりしてはいけないと私は思っていた。しかし、バスキアは世に出ることを考えていた。大きく取り上げられることを想定して作品を作っていた。友人たちから「あいつは昔から、『有名になりたい』って言っていたよ」と評されるのは、普通に想像すると恥ずかしいことのように感じられるが、バスキアは頓着していなかった。「有名になりたい」とあちらこちらで平気でしゃべっていた。
そうして、バスキアは本当に少しずつ有名になっていき、キース・ヘリングやアンディ・ウォーホルとも交流を持つようになる。
アンディ・ウォーホルは、たまたま訪れたレストランでバスキアのポスト・カードを買ったという。それをバスキアは素直に喜び、仲を深めたようだ。
その後、バスキアはブレイクしていくわけだが、映画はその前で終わる。
最近の日本では、バスキアの作品というと、「ファッション業界の金持ち社長が作品を買って自慢しまくっている」というイメージがまず湧いてくる。バスキア自身はこういうのってどう思うんだろう? と気になるところだが、もしかしたら、喜ぶかもしれないな、と思う。そういう意外な波が起きることも含めてアートなのかもしれない。高値で買われることで注目されたり、誰が購入したかというニュースで世間的に大きく扱われたりもするわけだ。
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インタビューは、元ガールフレンドで生物学者のアレクシス・アドラー、アーティストのファブ・5・フレディ、映画作家のジム・ジャームッシュ、アーティストのケニー・シャーフ、「SAMO」を一緒に結成したアーティストのアル・ディアス、地下鉄の車両に絵を描いたリー・キュノネス、アーティストのジェームズ・ネアーズ、自分のブティックに服を置いて「マンメイド」のブランドを支えたパトリシア・フィールドといった人々に対して行われている。
ジム・ジャームッシュは、サラ・ドライヴァー監督のパートナーでもあるらしい。つまり、監督もある意味この人たちの仲間で、当時のニューヨークの雰囲気を知っているわけだ。
観ていると、その時代を一緒に過ごすことができた人たちに嫉妬心が湧いてくる。
でも、バスキアを見習って、私たちは私たちの力で、今の時代のこの場所を面白くしていけばいいのだろう。自分の力で時代をつくるのだ。
バスキアは「黒人アーティスト」とくくられることを嫌ったらしいが、例えば私は「女性作家」とくくられることが嫌なので、思いを少しだけ想像できるような気がする。外側からくくられることに反発して、自分たちがつながりたいようにつながって、自分のつくった人間関係で活動をしていけばいいのだな、と思った。
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山崎ナオコーラ
作家。
著書に、小説「趣味で腹いっぱい」、エッセイ「文豪お墓まいり記」「ブスの自信の持ち方」など。
目標は「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」。
[放送情報]
バスキア、10代最後のとき
WOWOWシネマ 9/9(月)よる7:15
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