「友だちのうちはどこ?」3/16(月)よる11:00他
山崎ナオコーラが映画をテーマに等身大でつづるエッセイ。第12回は、間違えて持ち帰ってしまったノートを友達に返そうと奔走する少年の姿を見つめ、イラン映画界の名匠A・キアロスタミ監督の名を世界に知らしめた珠玉の感動作『友だちのうちはどこ?』を観る。
文=山崎ナオコーラ
アッバス・キアロスタミ監督の『友だちのうちはどこ?』は、いつかは観たいと思いながら、ずっと見逃してきた名作だ。イランの田舎のジグザグ道を少年がノートを持って駆け上がるシーンには、多くの人が見覚えを持っているだろう。
八歳の少年が、間違えて持ち帰ったノートを返すために友だちの家を探す、というだけの話だ。
私は、もうすぐ四歳になる子どもと一緒にソファに座って画面に向かった。子どもにも話は結構理解できたようで、最後まで熱心に観ていた。子どもは字幕が読めないので、私がちょこちょこと説明を加えただけなのだが、それで伝わるくらいに簡単なストーリーなのだ。
観る前から大体のストーリーは知っていたので、「長閑であたたかい映画なのではないか」と予想していた。けれども、見始めると、ドキドキと苛立ちと恐怖が常に襲ってくる、結構スリリングな映画だった。
話は単純でも、細部が丁寧に撮ってあるので、どんどん子どもの気持ちに入り込んでしまう。学校も家も村も長閑な風景なのだが、子どもの目線に立つと、決して楽しいだけではない、怖い場所に見えてくる。
学校の先生も、母親も祖父母も、近所の大人たちも、悪い人ではないのだろうが、やたら厳しく、現代の感覚からすると、「いくらなんでも、この教育はない!」という感じがする。子どもの話を聞かずに家の手伝いを次々とさせながら「宿題をやりなさい」とお母さんが連呼するシーンや、しつけ論を「たとえ良い子でも叱るところを見つけて叱る」と長尺でおじいさんが喋り続けるシーンなど、理屈も通っていないし、あまりにもひどすぎて、笑えてきた。
©1987 KANOON
それで、これは「大人はひどい」という映画なのではないか、と前半で思った。
でも、そうじゃないな、と後半で思い直した。
なんというか、「これが映画というものだ」という感じがしてきた。
主人公のアハマッドは、多くを語らない。親や大人たちに対して思うことはあるだろうが、まだ幼くて、うまく伝えられない。かと言って、泣いたり怒ったりもしない。不安な表情だけ浮かべて、ひたすら歩く。色とりどりのドアや窓が美しく、入り組んだ道は立体的で、画面に映える。美しいなあ、と思い、何かしらの意味があるのでは、とこちらは見つめるが、美しさに意味はない。大人たちはひどい振る舞いをするが、悪者ではない。アハマッドも、つらさは感じているだろうが、大人たちを嫌ってはいない。家仕事に追われたり金策に走ったり病気を患ったりして悩んでいる、普通の人たちなのだ。たぶん、アハマッドも、大人たちの大変さを、なんとなくわかっている。とはいえ、アハマッドが大人たちに従う必要はない。大人たちの厳しさによってアハマッドが成長するかというと、おそらく、しない。めちゃくちゃな論理で怒られて、世の理不尽さを知るだけだ。
ただ、その「理不尽」が大事なことなのかもしれない。
世の中というのは、理屈ではないのだ。
言葉にできないもやもやが世界を作っている。
映画というものは、それを撮るものなのだ。アハマッドのセリフは少ない。大人たちも、怒ったり商売したりはするが、重いセリフや説明するセリフは全然喋らない。風景は長閑で、視点は低く、特別な映像はない。
でも、画面をずっと眺めていると、「理不尽」が美しく流れ、これが世の中だ、という感動が湧いてくる。
©1987 KANOON
子どもだけでなく、大人も毎日、理不尽な目に遭っている。納得できないことで怒られたり、おかしな社会システムに首をかしげたりしている。
大人にとっても、日常は冒険だ。
私は小説家なので、言葉を使って日常を表現するし、綴ることで筋を作る。それだって面白い作業だ。
でも、映画は、言葉で言い表せないことを表現できる。日常というものが、言葉に置き換えられないもので溢れていることを、映像や音楽を組み合わせて時間の流れを作り、表せるのだ。
後半、妙に人間的魅力に溢れたおじいさんが出てくる。このおじいさんはなんなのだろう。これまでの大人と違って、アハマッドの話を聞いてくれる。しばらく一緒に歩く。そのお喋りは、重い話ではないのに、なんだか心が惹かれる。
アハマッドとおじいさんが別れたあと、すうっと、ドアの向こうのおじいさんの生活に沿ってカメラが動く。アハマッドをずっと追ってきたカメラが離れて、おじいさんを追うのだ。
このシーンになんの意味があるのだろう? と不思議に思うが、たぶん、意味はない。でも、妙に惹かれる。「生活」ということだろうか......、とにかく、すごく良いシーンなのだ。
そして、ラストがとにかく良い。グッとくるものがアップで映し出されたあと、すぐにスッと終わって、「ああ、いい映画を観た」という感覚がブワッと湧く。
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山崎ナオコーラ
作家。
1978年生まれ。『趣味で腹いっぱい』『リボンの男』、エッセイ『文豪お墓まいり記』『ブスの自信の持ち方』など。
目標は「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」。
[放送情報]
友だちのうちはどこ?
WOWOWシネマ 3/16(月)よる11:00
WOWOWシネマ 4/5(日)深夜4:45
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