2018/03/22 up

押井守監督が自身の作品について語る! 3週連続単独インタビュー第三弾 『ガルム・ウォーズ』『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』

「ガルム・ウォーズ」3/24(土)よる10:00

『ガルム・ウォーズ』について

実は、僕は全然失敗作だと思っていない

 『ガルム・ウォーズ』は長編としては一番最後ってわけじゃないんですけど、もう3年以上前ですね。海外で映画を撮るという経験は『ガルム・ウォーズ』を入れて3本くらいあって、ポーランドと台湾、香港。今度はカナダで撮ったんですけど、北米圏でハリウッド・スタイルで映画を撮ったっていうのは『ガルム・ウォーズ』が最初なんですよ。海外で映画撮るっていう経験は一応していたので何とかなるだろうって思ったら、何ともならなかったっていう。そういう作品ですね(笑)。ハリウッド・システムで映画を作るってことはどういうことなのか、非常に痛い目に遭ったというか、想像以上に大変な世界だった。それがある意味で言えば作品の中身まで変えてしまったっていう、典型みたいな映画ですね。たぶん世間的に言うと、まあ僕の中で失敗作だってことに、多分なってるみたいなんですけど。僕はね、実は全然そう思ってないんですよ。
 興行結果はまあ出ちゃえばというか惨憺たるものだったんですけど。世界配給も一応したんですが、いわゆるファンタジー作品として異色だっていうことは、最初から配給する側も分かっていたんでしょう。日本以外の世界では、ファンタジーっていうジャンルは割と普遍的に需要がある世界で、だからこそ世界公開もしたわけですが、言ってみれば日本的にローカライズされたファンタジーなんですよね。剣と魔法じゃなくて、軍事的なファンタジーというか。空母が出てきたり巡洋艦が出てきたり、戦闘機みたいなのが出てきたりとか。使っている武器も剣とか何とかじゃなくてアサルト・ライフルだったりとかね。いわゆる軍事的なファンタジーってことを最初に想定したわけですけど。意外にそれがあんまり評価されなかったっていうことなのかなって、ひとつは思ってます。
 剣と魔法っていうのは、ファンタジーにとってやっぱすごく普遍的なもので、これを違うものに置き換えてくっていうことが僕の目論見であったんだけど、それがひとつには、相当現場的に、違った意味でかなり負担になったっていうことがあったと思いますね。今までの映画の財産というか、どの映画業界にもある、特に海外のファンタジー映画の遺産みたいなものが、ほとんど使えなかったんです。新たに全部作り直すしかなかった。デザインワークの塊みたいな映画ですから、どんな小物に至るまで全部デザインしなきゃいけない。それがよく見かけるファンタジー映画に共通性のあるものがほとんどなかったっていうことがね、作業的に相当な現場の負担になったことは間違いない。

detail_180320_photo02.jpg「ガルム・ウォーズ」©I.G Films

最後の最後まで二転三転が続いた

 当初はハリウッド・スタイルで制作してほしいっていうかね、演出もそちら寄りにしてほしいってことで、本(脚本)の作業にだいぶかかった。ハリウッドの主流と呼ばれている脚本の書き方ってあるわけですよね。何本もラインを引いて、つまり視点を変えて、視点を交互に変えていくことでお客さんを飽きさせない。それがハリウッドでいうエンターテインメントの王道なわけです。今のお客さんはそういうものを見慣れているわけですし、ある特定の人物を追い続けるっていうことがかなり心理的な負担になるので、視点を変えながら、いわば大団円に向かって映画が流れ落ちていくという。
 ただ、そういうふうにできない理由があったというかね。そういう(バージョンの)脚本も存在するんですよ。具体的に言うと、3人の主要な登場人物の視点で、それぞれ視点を変えながら話が前進していくという本が一応上がったんですが、これをね、金銭的に検討するとですね、数倍の予算が必要だっていうことが、ただちに判明したわけです。どの時点で脚本をジャッジするかっていうことが大作の場合特に重要なんですけれども、ジャッジする人間が実は存在しなかったんですよ。面白いケースだと思うんですけど、普通はハリウッド・スタイルで映画を製作するという場合、絶対的な権限をプロデューサーが持っている。映画監督っていうか監督はあくまで現場で演出する立場であって、どういう脚本を選ぶのか、編集権も含めて最終的にはプロデューサーが全部作り出していくっていうのがハリウッド・スタイルと呼ばれているものですよね。今回の場合は、ある意味で言えば、僕が原作権を持っていたということも含めて、それが非常にはっきりしなかったというか。今だから言えることですが、プロデューサーが3回交代していますから。で、その度に映画の方針がコロコロ変わるわけですよね。やっぱり決定稿に至るまでの苦労が大変長かったというか。ところが皮肉なことに、カナダに行って撮影することが想定される以前に、絵コンテは実は完成していたわけですよね(笑)。だから、どういう映画を目指すのか、どういうお話にするのか、最後の最後まで二転三転が続いたっていうことが、一番大きな問題だったし、その時点で時間とお金を相当使ってしまったっていうことがね、最後まで映画の撮影を苦しくした、ということは言えるんじゃないですかね。
 映画を見るお客さんには全然関係ない話だけれど、映画っていうのはその成り立ちによって、ある程度運命が決まることは避けられないので。僕も今までいろいろな制作現場を経験してきて、だからある意味で言えば、何とかなるだろうと、臨機応変にやるしかないんだということで現場に乗り込んで行ったわけです。だけどそれは、準備が一番大事だっていうかね、準備が全てだと言っていいような異世界の物語、ファンタジー作品にとっては結構致命的なんですよ。それで文字通り、撮影しながら衣装も進行し、そういう意味で変則的な現場にならざるを得なかった。だからいろいろな経験をさせてもらいました。ロケを予定していた湖が凍結していたとかね(笑)。撮影の1週間前に確認に行ったら湖がない。凍結しているわけですね。現場のスタッフに聞いてみたら「1週間後には全部解けるから大丈夫だ」って言うんです。ホントかよ?ってね。それでまあ、確かに解けたには解けたけど、ロケハンした時と水際が、距離にして多分100m以上違って、撮影するスペースがほとんどないっていう(笑)。そういうふうな物理的な条件と闘うことが実写映画の内実でもあるんだけど、いわゆるアニメ的に作らざるを得ない異世界物というかファンタジーからするとですね、結構致命的であってですね。あと初めて組む合成チームだったりとかね。いろいろな難題と闘い続けたっていう。作品の演出以前に、撮影を可能にするために、ほとんどエネルギーを使い果たしたというか、そういう作品になっちゃったんです。

いかに苦しくても、監督としてやれる限りのことをする

 ただ作品は作品だから。最終的に向こうの現場が予算の関係でタイム・リミットがきて、引き上げざるを得なくなった時に、プロダクション I.Gという、僕の日本のホームグラウンドだけど、そこに撮影済みの素材を全部持ち込んで、これからどうやって形にしようかと。映画制作の第2部、第2の闘いが始まったんです。僕に言わせると、ああいうふうに全部の素材を持ち帰って、どうやってこれを映画という形にしようかっていう、そこからようやく本来の演出の作業が始まったと言えば言えるかもしれない。尺も短いんですが、非常にシンプルなラインの映画にせざるを得なかったし、僕はそれが結果としてこの作品にふさわしい形式に戻ったというふうに、実は思ってるんですよ。今にして思えば、『ガルム・ウォーズ』っていう世界の物語、僕の頭の中にある妄想の世界なんだけど、そこを舞台に映画を作り出すということに関していえば、アニメーション的な方法に頼らざるを得なかったというかね。ファンタジーは漏れなくそうだと言えばそうなんだけれども、特にこの作品は今までの映画的な遺産がない分、アニメーションの方法論に頼らざるを得なかった。にもかかわらず、撮影現場そのものはとことんハリウッド・スタイルだったという。非常にまあ、苦しい作品でしたね。いかに現場は苦しかろうと、映画として完成させるということが監督にとって全てなので。だから潔く撤退するとかいうふうなことはね、監督にはあり得ないですよ。やれる限りのことはして、なんとか自分の作品にする。その分だけ非常にハードルの高い作品に仕上がったことは確かですよ。当初のエンターテインメントの王道みたいなね、そういう気分で始めて、最終的には、僕自身は決して難解な映画だとは思ってないけれど、とっつきにくい作品に仕上がってしまったことは否めない。ただ、それ以外に映画として完成させる方法がなかったことも確かです。

自分の本質があからさまになった、忘れられない1本

 映画っていうのは面白いもので、結果的に自分の予想外の作品にならざるを得なかったけれど、個人的に監督という立場からすれば、だいたい追い込まれた時に本音が出てくる。かなり自分の本音に近い作品に仕上がってしまったというかね。監督って、必ずしもいつも本音だけで仕事をしているわけじゃなくて、あくまである要請の下に仕事をするわけだから。それに客観的に条件として応えきれなくなった時に監督としての資質の本性、一番本質的なものというか、そこに頼らざるを得ない。だから出来上がったものを見た時に、僕個人の感想だけど、割と自分の本質みたいなものがあからさまになってしまった、という気はしてますね。
 だから非常にいろいろな意味で、自分がやった仕事としては忘れられない1本になった、とは思ってます。ただ映画って公開されてから何年か経って、その時に初めて映画の中身が正しく伝わるっていうことは結構あったりするんですよ。概ね僕が好きな映画は結構そのタイプなんで。公開された時はパッとしないとか、誤解されたとか、意図がうまく伝わらなかったとかね。そういう種類の映画になってくれればいいなとは思ってるし、すごく個人的な映画になった分だけ、言ってみれば、もしかしたら長生きしてくれるかもしれない、という願望も持っています。
 いずれにしろ、15、6年前に企画された映画だから、それを執念深く実現した仕事でもあったので、自分にとっては非常に重要ですし、忘れられない作品になったと思いますね。ただ、僕の作品が好きだっていう、なおかつ僕もその人が好きだっていうね、そういう役者さんと仕事をしたにもかかわらず、彼および彼女たちを十分に生かしてあげることがうまくできなかったことは、ひとつ心残りとしてはあります。とても素晴らしい役者さんたちでした。面白いもんで、僕の英語力なんてたかが知れてるので、会話がうまく成立しなかったからこそ、お互いに理解し合おうっていう、かなり良い関係が現場ではできたと思ってますね。

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「スカイ・クロラ The Sky Crawlers」について

初めて本気で若い観客に向けて作ったのが「スカイ・クロラ」

 『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』ていう作品は、自分が監督として、自分自身で自分の立ち位置を少し変えてみようと思った作品なんですよ。どういうことかと言えば、あの頃、公開した時にもさんざんそういう宣伝をしていたと思うんですけれども、若い人に向けた映画だっていう。僕のアニメーション作品っていうのは、どちらかと言えば年配の人たち、中高生どころか大学生でもない30歳から上のおじさんたちに愛されてきたと思うんですよ。『パトレイバー』とか『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』も含めて。大人向けの作品だったというかね。ただ『スカイ・クロラ』っていう作品はなんて言うんだろうな、若い人に向けて割と本気で何かを語ってみよう、っていう僕にしては珍しい動機で始めた仕事でした。僕は本気で若い人に向けて作ったっていう記憶が全然なかったんですね(笑)。自分が歳を取るに従って、自分が作る映画の対象も上がっていったっていうかね。そういう意味で言えば、プロフェッショナルとしてはどうなんだっていうさ、アニメの監督としてどうなんだっていう想いはありつつも、それしかできなかったから。言わば、わがまま勝手に自分が思う作品を作ってきた監督だったので。自分が歳をとるにつれて映画の方も対象年齢がじわじわ上がり続けたというかね。それで心機一転っていうか、そういう要請もあったんですけど、個人の条件もあって、一回本気で若い人に見てもらうものを作ろうっていうね。それが動機でしたね。ただ結果的にどうなんだっていうと、残念ながら一番見てほしかった若い人たちにあまり見てもらえなかった。やっぱりいつもと同じお客さんがどうも来たらしいっていう。映画の宣伝って何なんだろうってことをね、思ったこともありましたね(笑)。

detail_180320_photo04.jpg「スカイ・クロラ The Sky Crawlers」©2008 森 博嗣/「スカイ・クロラ」製作委員会

一番幸せな関係がつくれた作品だった気がする

 ただ、『スカイ・クロラ』っていう作品は、少なくともアニメーションの仕事に関して言えば、今のところ僕のピークだと思います。最もうまくできた、間違いなく。変な言い方だけど、監督として成熟を感じた最初の作品ですね。もしかしたら最後になるかもしれないけど(笑)。やっぱりいつも何か作品的な冒険とか、演出的な新しい試みとかを、心掛けてものを作ってきたというか、映画は発明であるべきだっていうか。とりあえず何かを発明しなきゃいけない。それが監督の仕事だっていうふうにずっと思ってやってきたんですけど、『スカイ・クロラ』という作品の時に初めてそういうふうな、チャレンジするとかそういうことじゃなくて、成熟するということ、それを考えてやった仕事ですね。それは思うに、扱ったキャラクターたちがいつになく若かったから。ところが中身は全部おじさん、おばさんであるという、見かけと中身が違うっていうキャラクターですから。これがこの映画を決定的にした部分なのかもしれない。結果的に若い人に向けて作ろうと思って、僕もそう信じてやったにもかかわらず、実は若い"ころも"を着ているだけで、中身は従来のキャラクターだったのかもしれない、という想いが今は多少する。森(博嗣)さんの原作は、やっぱり素晴らしい原作だったし、いくつか映画のために変更を加えている部分もあるけれど、かなりの部分、忠実にやろうと努力した作品でもあったし。たぶん僕が原作付きで作った作品の中で、一番幸せな関係だった気がする。他の作品は漏れなく結構不幸な結果になった気がするんだけど(笑)。この作品に関してはね、森さんの小説と僕のアニメーション映画と、かなり幸せな関係がつくれたんじゃないかと。なかなかないことなんですよ。なかなかない。僕のやった仕事の中ではほとんど唯一と言っていいのかもしれない。そういう意味でいえば、いろいろな意味で、僕からすれば大変にうまくできた、幸せな映画になった、と思ってますね。不幸な映画ってのもあるんですよ。巡り合わせが悪くて。僕がやった仕事でいえば『天使のたまご』なんてのはその典型なんだけど...。うまく"嫁に出せなかった"。『スカイ・クロラ』って作品は、興行成績こそもうひとつ伸びなかったけれども、かなり作った人間も、原作者も、お客さんも、相当に幸せな関係がつくれたんじゃないかっていう、珍しい作品ですね。

押井守監督からのメッセージ

 今回は僕が監督した映画7本を連続してご覧いただける、珍しいことです(笑)。
映画監督にとって何より一番幸せだと思うのは、それは自分の作品がまだ世の中で必要としている人がいる、見てもらえる。それ以外にないです。成功、不成功はあったとしても、映画監督として一番望ましいことは、自分の作品がまだお蔵に入っていない、まだ寿命が消えていない、まだ見て面白がってくれる人がいるっていうことが、一番の幸せだと思います。こういう機会を与えてくださったWOWOWさんに感謝します。
 また、最後までご覧になってくださった方々にも感謝します。ありがとう。 「特集:闘う押井守」。ぜひ最後までお楽しみください。よろしくお願いします。

[放送情報]

『特集:闘う押井守』
WOWOWシネマ 3/24(土)~25(日)

『ガルム・ウォーズ』
WOWOWシネマ 3/24(土)よる10:00 ほか

『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』
WOWOWシネマ 3/24(土)よる11:45 ほか

押井守監督が自身の作品について語る!3週連続単独インタビュー第二弾『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』『イノセンス』

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押井守監督が自身の作品について語る! 3週連続単独インタビュー 第一弾 ~パトレイバーシリーズ~

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